Archive for 9月, 2010

9月 6th, 2010

9/6朝日カルチャーセンター

今日は朝日カルチャーセンター横浜でのレッスン7月期の第2回目でした。
 
 
お越しくださった皆さん、どうもありがとうございました。
 

今日は、生徒の皆さんにアレクサンダー氏の言葉が書いてあるカードを一人5枚づつ配ったあとに、グループの中で個人レッスンを進めていきました。
 

一人のレッスンが終わった後には、
それを見ていた人たちが自分のカードをチェックして
「この言葉は、いまのレッスンと関連しているな」と思ったアレクサンダー氏の言葉を、レッスンを受けていた人にプレゼントする、という流れにしてみました。
 

ひとつの理由として、
私の言葉を通して行うレッスンだけでは、なんだかもったいない気がするからです。
 

アレクサンダー氏は、アレクサンダーテクニークについて、どのようにいっているのかに触れてもらいたいと思いました。
 

それによって、きっと、アレクサンダーテクニークへの理解が、
すこし深まってくれるのではないかなと期待して。 

それから、単純に、だれかから自分のためのプレゼントをもらうというのは、楽しくて、うれしいことだと思うから。
シリアスに講座に参加しているだけでなく、
軽いウキウキが起きてくれるといいなと思いました。
 

実際生徒さんのなかにはカードをもらいながら「うれしーー!!」
とウキウキされている方もいて、ああ、やってよかったなと思えました。
 

私がトレーニングを受けていた時、ゲームのように遊びながら学んだりもしたので、遊びの要素がある学び方は好きです。
 

何かをグループで学ぶときには、
そのグループの質感・緊張感が、居心地の良さや学びやすさに影響すると思います。
 

特に、アレクサンダーテクニークは、不要な緊張を減らしたいワークなので、
なじみのない方と一緒にいることで起こる心理的緊張が、ムリせずに減ってくれればいいなあと思っています。
それは、どのような方がそこに集まるかということでも全く違うし、
講座の進め方でも違う。
講座をつくる側としては、自然と軽い交流が取れる形を作っていきたいと思っています。
 

私が何かを習いにいって、グループの中にポンと入ったとき、
「私、別に友達つくりにきたんじゃないし・・・知らない人と関わりながらレッスンするのって疲れるなあ・・・もっともくもくと一人でマイペースに学べないのかなあ」
と、感じることがあるのですが・・・
かといって、自分が講座をする側になってみると、
コミュニケーションのとりにくいグループの中で学ぶということは、学びの循環があまりうまくいかないように感じます。
 

いろんなタイプの人がいるだろうけれど、
他人にバリアをはって緊張感を持ちつつ学ぶわけでもなく、
気を使いながら交流して一緒に学ぶ必要もない
 

自分が楽な立ち位置でそこにいられる
そういうスタンスが作れればと思っているのですが・・・どうだろうかなあ。
それがうまくいっているかどうかは、わかりません・・・。
 

そういう意味でも、毎回毎回勉強です・・。

9月 1st, 2010

感覚的評価はあてにならないのだから・・・

久々に、ジェレミーのクラスに顔を出しました。(ちょっとだけれど)

出席したのはボディシンキングのクラスで、あるアクティビティレッスンのあと、ジェレミーは脊柱起立筋の役割について話していました。
「まあ、その働きはわかったけれど、その情報を自分自身に使おうとする時に、感覚的評価を使いたくはないわけだから・・・今の情報をどうやって使えばよいのだろう?」
と、ジェレミーに聞きました。
(アレクサンダーテクニークでは、行為をリードするものとして感覚をあてにしません)
 
ジェレミーが言うには、
感覚はあてにはならないけれど、いい感じがするなとか、ラクになったなとか、そういうフィードバックは使えるわけで、それがあるからここにみんな習いに来ているんだ
 
と、いうような事を回答してくれた。
 
でも、私の中では「うーーーーん・・・」という感じ。
それはそうだけれども、
それと、アレクサンダーテクニークの原理を使うことは別なわけで・・・。

だって、感覚的に「変な感じ!」「え?これじゃ動けないよ」って感じる時だって、上手くいっていることはあるし
 
「楽だなあ」と感じる時に、逆にうまく言っていない事だってあるし・・・
 
そして休憩時間にジェレミーとちょっとその話の続きをした時に
「感覚的評価があてにならないというのは、行為のプロセスとして感覚を使わないということだよ」
と言われました。
 
はい。
それが私のそもそもの疑問の始まりで、だからどうしたらいいんだっていう話です!!
なんか振り出しに戻った気分。
 
ジェレミーが言いたいのは、こういうことかな?
「感覚は行為のプロセスとしては使わない。
けれど、やって来る感覚が”上手くいっている”とか”上手くいっていない”とかフィードバックをくれることはあって、
それを使ったっていいじゃん」
ええええ?なんか、それってどうなんだろう。
ええええ?
私の英語力がないばかりに、変な誤解をしているかもしれない。
というか、ジェレミーが言いたい本質は、そういうことではないと思う。
私は何か、ミスしている。

ジェレミーは最後、こういいました。
「世の中にあてになるものなんて、ひとつもないさ」
すると、私の頭はさらに「????」
そこまでいくと、ちょっと飛びすぎてしまうので、飛びたくないというか、
いや飛んでないのかな??
確かに世の中に確実にあてになるものなんて、ないのだから・・・・
なんて、私の頭はぐるぐるしてしまった。
 
なんだか、ジェレミーさんには、こうやって私の頭をぐるぐるさせられてしまう事が多々あります。
でもそれが実は良いような気がする。
私が「はい師匠onegai03t.gif」とすべて先生を鵜呑みにせずに,自分で考えるよい刺激となるのです。
 
ジェレミーの答えと私の経験とを合わせて色々考えたのだけど、
結果はいつもと同じで、
「その時の、自分のベストを選ぶしか無い」って感じがした。
もし一人でアレクサンダーテクニークを使おうと思ったら、
私の感覚は、私の感覚でしかない。
私の感覚は、あてにならないことがある。
私が選べるものは、私が知っているものや、私が気づいたことしかない。
私が選んだもの、私のディレクションが実際どのように働いているかは、私のあてにならない感覚でとらえるしかないのだから、正確なフィードバックは期待できない。
 
そうすると、私は私のディレクションに対してクリアになることと、
それを意図し続けることしかできないように思う。

それは、私にとって、今できるベストを尽くすという言葉になるわけで、それにともなってやってくる感覚については、情報の一つ・体験としては尊重するけれども、正確な判断の材料にはできないよな・・・と改めて思った。

とはいえ、ジェレミーが言うように、「良い感じ」「上手くいっている」というフィードバックを受けることが多いのも事実。
だからこそ、レッスンを続けたいと思うのだろうし、
新しい体験から新しい発見がもたらされたりもするのだから、
情報のツールとしての感覚は、依存したくないけど尊重したい。

感覚とのつき合い方って
ほんと距離感が難しいというか、頭で考えるとこんがらがってしまう・・・。

私がレッスンを受けている時、感覚とどうつき合っているのか振り返ってみたら、
どんな感覚だろうと、新鮮に楽しんでいる感じがする。
へんな感じがしたら、それも驚きだし
上手くいく感じがしたら、それも驚きだし。
でもやはり、それはその時の感覚であって、実際に自分の役に立つのは、私は何をしたんだっけ?っていう事。

「そこに至るまでの手順」がやはりキーだから、
今回の筋肉の話のように、ボディマッピングをどう使うかというのは、
それを使って私は私にどんなメッセージ・ディレクションを送るのかということだよな
と、一番最初の質問に、自分なりの答えをあげました。
というか、それは新しい発見じゃないし・・・

なんかぐるぐるした結果、知っている道に戻って来ちゃった感じ・・・。

こんな風にぐるぐるしながら、
私の選択肢・選べるベストがすこしづつ増えていくとよいのだけど。


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