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11月 29th, 2010

大きなお腹で靴下を履けるようになった

最近は、お腹がさらに大きくなって、「座ることが大変」になってきました。
普通にいすに腰掛けているだけで、自分の太ももが、お腹を圧迫させてしまうのです・・・。
胡坐をかいても同じ。
胡坐の姿勢も、下腹部を圧迫させちゃう。

だから、長時間座って作業をしていると、お腹の中で赤ちゃんがつぶれていないだろうか・・・と、心配になってしまったりして、静かに寝ているところを、お腹を揺さぶったり、声をかけたりして、モゾモゾと動いたら「ほ・・・生きてる・・・」と安心しているような状態です・・・。
なんて迷惑な母親なんだろうか。

お腹を圧迫しないように座ると後ろ重心になって尾骨に体重がかかり、お尻が痛くなってしまうし、ソファに座ると、胴体が沈んで上からお腹を圧迫してしまうし・・・今までの生活とは違う生活のしかたが要求されています。
シビアに自分の身体を面倒見ていないと、どっかがすぐに苦しくなったり、痛くなったりする。

まあ、いいアレクサンダートレーニングと思えばいいのでしょうが、気楽じゃないです。
で、いまのところ、圧迫しないように座ろうとすると、ストレッチをするときのような開脚姿勢。

いすに座っているときも、家ではそうやって座っています。
ドスコイって感じ。

でも、あんまり足を開いても、脊椎が伸展させられて腰痛になりそうなので、やっぱり全体のバランスをみることがシビアというか、身体の変化に合わせて、自分の面倒の見方を変えていかないと・・・って感じです。

でも、あと少しの辛抱かな。

最近の発見。

靴下を履くのが大変だったのだけど、コツをつかみました。
普通、靴下を履くときって、靴下の足の甲の部分を上に向けて足に履かせますよね? (たぶん、これが普通なんだと思っていますが)

でもそうすると、前屈することがお腹を圧迫するので、靴下履くのがとても大変だったのです。

ところが、楽な方法を見つけました。
胡坐をかくときみたいにひざをまげて床に座って、
靴下を持つとき、靴下の向きを座った姿勢の足の向きにあわせて持つのです。

足の裏が上を向いて座っていたら、靴下も、足裏を上向きにして手に持つ。
足の裏が横向きになって座っていたら、靴下も横向きにしてセットする。
そうすると、前屈して遠い足に手を伸ばす必要もないし、
足の甲を上向きにして持った靴下を履かせるために、胴体をねじる必要もなくなりました。

(これ↑で、説明わかりますか??)

「楽な体勢で靴下を履く」
ことは、
体勢の問題はともかく“靴下の持ち方”を変えればいいんだ!と発見したときは、私、とても大喜びでした。
毎日の苦痛が少し和らいで、「私、あたまいい!!」と自画自賛。

今まで大変だったのは、
靴下とはこうやって履くものだ・・・という固定概念があったからなんですよねー。

なんというか、融通が利かない頭でしたー。

11月 29th, 2010

ベリーダンス 二人のダンサーの違い

今日、トルコ料理を食べに行って、偶然、ベリーダンスを観る機会に恵まれました。

おいしいお料理を食べながら、ダンスを観て、
アレクサンダー教師として私が感じたことを書いてみようと思います。

食事をしているそのすぐ隣で踊ってくださったので、ダンサーの動きがよーくみえました。

で、職業病というか、ダンスを見ながら・・・すごく、図々しいのだけど・・・自分はぜーんぜん踊れないくせに、
「ああ、もうちょっとこうすると、もっとよくなりそうなのになー、もったいないなー」なんて思ったりもして。

でも、図々しいけれど、踊れないけれど、可能性を知ることができる、
それはアレクサンダーテクニークのすごく良いところだと思うのです。

「出来てない」と感じているのではなく「ほんとはもっと素敵に踊れるのに!!」と感じるんです。
でも、その人の使い方のパターン・方向付けが、出来ることをもっと小さく限定させてしまっている、
そして、本人はそれに気づいていない、そして、観客の人も気づいていないかもしれない。
だから、もったいない。

「おいしいものはおいしいうちに食べて~」というのと、ちょっと似ているような、
そんな「ああー!もったいない!」って感じ。

ダンサーは2人いました。
1人目のダンサーが踊り終わって2人目のダンサーの方がやってきたとき、
その方の観客を惹きつけていく力に「わお!」と感動しました。

キャシー・マデンさんという演劇を専門としているアレクサンダーの先生がいるのですが、キャシーはよく「お客さんをインバイトしなさい」と言います。

そのダンサーが登場したとき、まさしく、「インバイト」しているのがはっきり見えました。
そして、そのご招待には招かれざるにはいられないような圧倒的なパワーがあって、これはいったいなんだろう?と思ったんです。

その方が踊っていると、生命の喜びというか、肉体の喜びというか・・・原始的な快楽に招かれてしまう感じがして、私はそのとき食事中だったのだけど、食事をするという原始的な喜びを心身ともに快楽として味わえる、そんな体験をしました。
まさしくそれは、彼女の快楽のダンスにインバイトされることで、私の中から沸き起こってくる共鳴というか・・・
うーん、素敵なダンサーだなーとうっとりしてしまったのです。

で、一人目のダンサーと(この方もとても素敵なダンサーなのです)2人目のダンサーと、何が違うのかなあと、ダンスを観ながらいろいろ考えてみたのですが・・・想像するのはこんなこと↓

・心身の開放のさせかた
場所が狭いので、一見のびのびするには難しそうでした。
でも2人目の方が現れたとき、その場所の狭さなんて全然気にしていないような大きなスペースが彼女自身にありました。
心身の開放感が、その方の魅力をよく引き出していたし、そののびのびとした開放感に惹きつけられてしまう・・・そして、観ている側に同じような状況を引き起こしてくれる・・・そういった良い循環がうまれていたように感じます。

心身の開放感って、気持が開放していればよいってもんじゃないですよね。
アレクサンダーテクニークでいうところの頭と体の強調作用はすごく重要です。
体全体が広がりつつも、必要な張力・弾力性・可動性がそなわり続けていて、調和の中で自由である・・そんな開放感。だから、リラックスすればいいという開放感とは全然違う。

・踊っているときのインテンション

1人目の方は、ダンスの振り付けと観客とコミュニケーションという2つのことを同時にやっている様に感じられた。
2人目の方は、ダンスの振り付けは明確でありつつもnon-doingのなかで踊っているように見えた。
内から沸き起こってくる動きに振り付けとコミュニケーションが一体となって表現されている・・・そんな感じ。
音楽も、身体的な動きも、心理的な動きも、コミュニケートも、自分自身の動きとして全部1つであり、分けることが出来ないひとつのもの。それが一体であることを許すというnon-doing。
そんなふうに感じられたんです。
non-doingといったって、一般的な、「なにもしなけりゃいい」ってことじゃない。
クオリティーの高いnon-doingはスキルのひとつだと思います。
そしてそのクオリティーの高いnon-doingが、彼女の高いダンスの技術をサポートしているのではないかと想像しました。

・方向性の明確さ
ベリーは体幹の動きがすごくありますね。
で、お二人ともすごく細かく素早く動いていて「おおーーー!!」と、拍手したくなってしまうのだけど、二人の全体性にはすごく違いがあるんです。
上記に書いたことに加えて、二人目のダンサーは、腕の方向性がすごく安定されていたんです。

部分ばかりに目を向けることは、あまりよくないことだけど、部分の情報としては、そう見えた。
体幹が緩やかに滑らかにすばやく動いている間、ひじの方向性は固定されずに、リラックスしつつも安定し続けていたんです。
で、一方のダンサーは、体幹が動いている間、ひじも一緒に動き続けていたんです。
もちろん、グラグラしているようなみっともない状態ではないですが、身体全体が体幹の動きにつられて揺れているような、そんな感じ。
そういうのって、好みの問題になるのかどうかはわかりませんが、私としては、ひじが安定しながら体幹の動きを見せていただいたほうが、はっきりとベリーのよさを感じることができる様におもったのと、そのひじの安定感から、いくらその方が激しく動いていても、いつもセンターにい続けていることが見てとれるように思いました。

それを見ながら、
「そういえば、バレエでも、社交ダンスでも、ジャズダンスでも、ひじの方向性って大事だモンなー、ベリーでもそうなのかな」
なんて思ったり。

そんなふうに、産休中でレッスンから離れていながらも、ついつい動きや可能性を見たくなるという衝動からは逃れられないのでした。

帰り道、ダンサーとレッスンしたいなーという思いに駆られ、
グループレッスンを企画したいなーと思ったり、
でも、いつそれが出来るかしら?と思ったり、
まだちょっと考え中ですが、ダンスサークルやダンス仲間が集まって動きを探求して楽しめるような、そんな機会をつくれれば・・・と思っています。

p.s
レッスンしたいなーと思ったら・・・明日は朝日カルチャーでのレッスンなのでした。
さて、明日は明日で、みんなでどんな体験を招くことができるか楽しみです。