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9月 6th, 2011

姿勢が悪くて身体がやせる?

今日は、4回目の投稿です。
病のことばかりですみません。

今度は母のことなのですが、先日久しぶりに実家に顔を出しました。

母は昨年脳出血で倒れ、左半身麻痺となり、いまは弟と暮らしています。
退院後、実家に母が戻ってから帰省するのは今回がはじめてで、どのように暮らしているか気になっていました。

母は元気に暮らしていましたが、すっかりやせてしまっていました。
とはいっても、もとがもとなので、いまは私よりすこし細いくらい。

まあ、それくらいやせても大丈夫か・・と思っていたら、食が全然すすまないとのこと。
あまりに食べないので心配になりました。
作るのも面倒だし
味覚があんまりないのよね
など理由を挙げていましたが・・・

あるとき

「胃が気持ち悪いのよー。食欲がわかなくてねえ」と。
そして「猫背になって、胃を圧迫しているのかしらねえ」というのです。

「そうだよ! そんなに丸くなって、圧迫してるよ!」というと
「え?そう?」と

母は、自分の姿勢がくの字にグテっと丸くなっていることに気づいていなかったのです。
私はそれに驚きました。

私の方は、ずっとその姿勢が気になって、時々背を伸ばすよう促していたのですが、
当の本人は、まったくわかっていなかったなんて。

「わからないいのよー。自分では」というのです。
それは、麻痺のせいなのか、それとも単に身体感覚が鈍いからなのかわかりませんが、母は胃が気持ち悪いと思って「姿勢が原因?」とは思っても、自分の姿勢の悪さにまったく気がついていなかったんです。

多かれ少なかれ、誰でもそういうことはありますけど、
あまりのひどさに、わたしは驚きました。

でも、改善しようにも、母にはそれが難しいようなんですね。
「アレクサンダーを教えてあげようか?」というと
私のしていることに興味のない母には珍しく「うん」というので、レッスンというよりは、簡単なアドバイスを伝えました。

母は立つときも座るときも首をぎゅっとさせて身体を押し縮めていましたし、
ひざを内側に内転させる癖があったので

「前を向いたまま立とうとしないで、股関節からお辞儀をして、足に体重がかかってきたら立ってね。」
「ひざは内側ではなくて、前にむけてね」と。

なんともハウツー本のような、乱暴なアドバイスですが、この際、いまのままよりは、ドゥーイングになってもよいだろうと思いました。
私は母の性格をよくわかっているので、あまり時間をとったりこまごまいうと「ああ、もういいや」となってしまうとおもったので。

そして、問題は座ったとき。
座ると、肋骨の下でぐちゃっと身体をつぶし、典型的な猫背(背中の丸いおばあさん)になっていました。
日中、ほとんど寝るか、座るかしている母に、これはよくありません。
背もたれにクッションを入れて、寄りかかっていれば猫背になったり反ったりしないようにしました。

これはもう対処療法ですが、とにかく、いまの姿勢を続けさせてはないらない・本人が続けられないと意味ない、ということで簡単だけれど、こうすりゃまだましでしょ、という感じです。

クッションを入れた翌日 「あんたがクッションをやってくれたから、身体がらくだわー、背中が痛くなくなった」と言っていました。見ると、以前のようには胃の圧迫もしないでいられているようでした。
これで、食欲が出てくれると良いのですが・・・。

今回は、自分の親に「使い方が機能に影響する」という、あまりにもわかりやすい具体例をみて、愕然としてしまいました。
そりゃやせるわー・・・と。
食べなくて病気になるかとおもったけれど、その姿勢も病気のもとだからな、気をつけてほしいなあ。

9月 6th, 2011

信念(使い方)が変わり知覚(機能)が変わる

前回の記事の中にある

「すべての世界が(使い方も)ガラリと変わりました。

いまおきていることを信頼してゆだねる。
抵抗しない、がんばらない。焦らない。
結果を想像どおりにしようとしない。」

の例として、私を救ってくれた印象的な例を挙げたいと思います。

今年の5月、私は入院して、毎日色々な検査をしていました。

そして、ある検査結果を診て主治医が、
「脇のリンパが、すこし炎症をおこしているかも。 ほんの少し。
触診しても全然わからないくらい小さいようですけど・・・。
まだわかりませんが、炎症部分を切り取って検査をするかもしれません。」

とおっしゃったんです。

そのときは、「はあ・・・」って感じでした。
なんとなく、「リンパを切るって・・・危なくないのかなあ」とぼんやり考えていました。

そのぼんやりを看護士さんに尋ねたところ「いやあ、大変大変。それは大変ですね~」といわれ、そこからドキドキし始めてしまったのです。

その後、形成外科のドクターから詳しく検査の説明がありました。
「触診できないほど小さい炎症を採取するの大変なことだ。
砂漠の中で石ころを探すようなもので、
切りながら探していくので、深くなるし、炎症部分を見つけるのは難しい」
と。

メリットデメリット、いろいろな角度から説明をしてくれましたが、その先生からは「ご自分で決めることですが」と前置きされながらも、「やらなくてもよい」と遠まわしに言われているようでした。

実は私は、そのとき検査を提案した主治医に不信感を持っていたんです。

他のドクターたちが「意味がない」と言っている皮膚・脂肪を切り取る検査を行った。
過去、同じ症状で入院したときのどのドクターより数多い検査をする

私はこの先生に対して

「検査が好きなんだな
切られたり、放射線を浴びたり、それは私の身体が受けることなのに、
この先生は意味が薄いようなものでも、とりあえずデータがほしいんだな。。。」

そんな感じに捕らえていました。

だから私は、形成外科の先生の説明を受けて、今回のリンパの生検にはNOを言おうと、決めたんです。
だって、ほんとうに、先生が「難しい・・・!!」って頭を抱えていたので!!!
そんなの見たら、私は怖いです!

主治医に 「リンパの生検は難しいと聞きました。 意味のない検査はしたくないんですど」と言うと
間髪いれず、「意味があるから検査をするんです」と一蹴されてしまいました。
私は、それには、返す言葉がありませんでした。
そんなこと言われるとは思わなかった、という思いと、確かにまあ、そのとおりなのだろうけども・・・という思いの間で。。

そして、その後、恐怖心やら、不信感やら、いろいろ沸いて大変だったんですけれど、
「信頼しよう」ということに信念が定まったとき、世界がガラリと変わったのです。

「信頼しよう」は主治医にではなくて(笑) 私の身に起こることを受け入れようと潔くOKを出したということです。
それは、そのとき抱えていた恐怖感、不信感、葛藤、そういうものは全然私の役に立たないとが、はっきりわかったからです。
私の問題を解決するわけでもなく、私を安心させるわけでもなく、私の症状をラクにするわけでもない。
ただ、毎日を辛くさせているだけ。
これを抱えている間は、主治医ではなく、私が、私を辛くしているのだ、と理解したからです。

それに気づいて、私の身に起きることにOKを出すことにしました。

すると、世界は別世界。

私の信念が変わったとき、私の知覚が代わりました。
大変だ!! 怖いことだぞ!!
と、騒ぐ自分がいなくなったら、問題がなくなってしまったのです。

私が体験しているのは、快適なベッドで好きなときに寝て、ご飯を運んでもらって食べる。
気分がよければ売店にいくし、テレビを見る。
薬が効いているので、日中の痛みはない。
そして呼び出しがかかったら、検査に出向く・・・そんなのんびりした平和な日常でした

私は、私の身に起きることを受け入れよう、そう気持ちよく決めただけです。
それまでやっていた「怖い!嫌い!助けて!」そんな思いが、イヤになっただけのことです。

それなのに、私の目や、呼吸や動きが見違えるほど、ラクになりました。
恐怖や不安に思考が苦しめられることがなくなりました。
変わらない日常が、とても愛しくありがたく思えました。

自分自身で自分を安心の中に身をおくことができるのだと、私ははっきりと体験しました。
状況という条件付けをしている間は、なかなか難しいことでしたが、
条件というものをすっとばして「信頼」の中に身をおくとき、世界がまったく違ってみえて
「次元が変わる」というのは、こういうことをさすのかなと思いました。

予期せず、素敵なことも起こりました。
なんと、「この先生は良い先生だ」と思えたのです。
「この先生は、私の病を調べようと一生懸命になってくれている。
熱心で良い先生だな。先生のいうことなら、安心して身を任せよう」と勝手に思考や気持ちが代わったんです。

これには、われながらびっくり。
でも、とてもうれしいことでした。
そして、それは本当のことであって、いままで私が持っていた不信感の方が、私の作り上げた先生だったのだと思います。
しかし、なんて気分屋なんでしょう・・・。

葛藤が消え、穏やかになり、世界を見渡す余裕ができて、
先生が何を言おうと笑顔で受け答えができました。
そして、その検査をするかしないかの決断が下されるとき
「やはり、難しいとのことなので、やめることにします」という先生の話を聞いて
「やったー!!」ではなく、穏やかな気持ちで「はい。わかりました」と言うことができました。
それが、とてもうれしかったです。

私が、私を辛くしている

これこそが、私の自分の使い方の結果でした。

信念とは使い方の一部

知覚とは、機能の一部

「使い方が変われば機能が変わる」

これは、アレクサンダーが言っていることです。

こういった体験を通して、
いまは私、外の世界ではなく、自分の信念をまず疑わしく思うようになりました(笑)

P.S.
主治医は、私が退院したあとの通院についても考えてくれていました。
自宅から通うことができて、この病気について専門知識を持っている病院を調べ、紹介状を書いてくださいました。
今はそこで診て頂いているわけですが、とても感謝しています。
気分ひとつで「信頼のおけない先生」なんて思った時期を申し訳なく思います。

9月 6th, 2011

思考のケアとライフスタイルの変化

今日は、連続投稿になります。
長い間、レッスンやブログをお休みしていましたが、気づいたことは色々あって、
そのつど「あ、これはブログにアップしたい」と思うのですが、もうすっかり忘れてしまいました。。。
そのうちひょっこり出てくるとよいな。

前回の病気と使い方のテーマの続きなのですが、アレクサンダーの本を読んで
「使い方を改善することで病気が回復するのなら、私だってそうしたいところだけれど・・・!!」
と、イラっときました。(笑)

アレクサンダーの主張に希望を見出しつつも、納得できるように自分の使い方を面倒見ることが出来ず、未熟さを感じました。
それに、「使い方だけが問題じゃないよ。」と、反抗的な自分もいました。

とはいえ、使い方が人間の生理的機能、思考に影響を与えることは疑いの余地はありません。

少しでも自分の使いかたを気をつけようとしましたが、思い出しては、忘れ、思い出しては、忘れ・・・
私の思考はすぐにフラっとどこかに行ってしまいます。

病院の待合でアレクサンダーの本を読んで、「よし!気合が入った、気をつけていこう!」と思った矢先、
診療室で先生と話すときには、「え?それって、こういうことですか??」と、身を縮めながら先生と話している始末。

そんな自分をリアルタイムで観察できているだけ、まだましな状況だとは思いますが、自分のしていることがわかっても自分の使い方を十分に方向付けることができないのに、24時間自分の使い方を面倒見続けることが出来るわけありません。

よく生徒さんが、すぐに忘れてしまう、変えようと思っても変えられなかった、おっしゃいますが、そんなもんです。
その度合いがレッスンの積み重ねで変わっていくだけのように思います。

私にとって、自分の使い方の面倒をみることによい刺激となったのは、
ひとつはアレクサンダーが書いた本を読むこと。自然に意識が変わってきます。
でもこれは、時間がたつとすぐにその緊張感が途切れてしまう方法でした。

一番よかったのは、思考のケアをすること。
焦りや、怒りや悲しみは、自然とカラダの使い方を悪くさせてしまいました。
一瞬の落胆で、カラダの方もガクっとサポートを失います。

「それなら、ポジティブにならなくては・・・!」ということかとそういうわけではなくて、逆にそんなことをしたら過緊張を
生み出して、精神的ストレスでまたがっくり反動がきます。

落ち込まず、張り切らず、「ゆだねる」というのが、私にはとてもよかったです。
なんだかありきたりですが。

アレクサンダーテクニークには「感覚的評価はあてにならない」というのがありますが、
それの拡大解釈といいますか
今起きていることは、一見、残念なことにおもえるけれど・・・そのフィーリングについていかない。
すると、すべての世界が(使い方も)ガラリと変わりました。 ほんとうに。

いまおきていることを信頼してゆだねる。
抵抗しない、がんばらない。焦らない。
結果を想像どおりにしようとしない。

それって、アレクサンダーテクニークの原理にあることです。
結果をコントロールしようとしないことも。

結果をコントロールしないということと、望みをすてることは違います。
望みが変わることのように思えました。
結果を得ようとすることから、まずは、いまのプロセスを大事にしよう、ということに。

実際には、「結果を想像通りにしようとしない」ということは難しかったです。
「治りたい」のは事実で、治りたくないわけない。
けれど、いろいろジタバタしたところで、スポーンと
「もう、だめだ、受け入れよう。それしかできない」
というプロセスがきたようにおもいます。

昔、ある人が「全部捨てたら、うまく言ったの。ホームレスになってもいいやと思って全部任せたら、今住んでいるこの家に出会えたんです」とお話くださった方がいて、
他の人に「あの人はあんな風に言っていたけれど、あなたは、ほしいものを全身全霊で追えって言いますね。どっちなんでしょうね」と聞いたんです。
そしたらその方は、「一緒ですよ。ほしいものを追ったこともなくて、あきらめられるの?全身全霊で追いかけて最後に、ポーンと捨てられるのよ」と、おっしゃっていました。

なんか、あれを思い出しました。
とは言っても、私はそんな執着を手放すという段階ではなく、治りたいなあって思っていますけども、前ほどジタバタしなくなったのかな。

ゆだねるとき、アレクサンダーテクニークの原理では新しい方向性の「意図」に自分をゆだねるわけですが、
今回の私は何にゆだねたんでしょう?
運命かもしれないし、自分の体の生命力というものかもしれないし。
ただ、「自分が把握している自分」には解決不能だと認めたんです。いい意味であきらめた。
それが、「なんとかしよう」という、アレクサンダー用語でいうところのdoingからは離れられたように思います。

なんとかしようとするのをやめて、ゆだね、いまの自分の体を大事にしようとおもったとき、
安心して痛くなることができて、痛みへの戦いや焦りが減ったり、
早く寝よう
とか、
無理して家事するのはやめよう
とか
そういうことを、ストレスなく行うことができました。
いつも100パーセントとはいきませんが。

そうやって、過ごしているうちに、だんだん、痛みが少なくなってきました。
痛みがへると「おお!?もしや!!」と思って、その方向性で生活を続けていきました。

そうやってライフスタイルが変わってきたことは大きなことだと思います。
時間の過ごし方、予定の取り扱い方、望みとのかかわり方も変わりました。
「そうしなくてはいけない」からではなく、自然とそうできるようになったことがとてもよかったです。

アレクサンダーテクニークの本の副題にもありますね、
「姿勢が変わる・からだが変わる・生き方が変わる」って。

それまでは、家事と子育てと自分の身体で必死な感じもあったけれど、
のんびりのんびり、今できないことは、今できないことと気持ちよく切り捨てて、
子供と一緒に早ね早起き、お昼ねたっぷり、時間を気にせず、メールの返信もまあいいや・・・という具合になりました。
(今日は夜更かしさんです)

そうやってすごしていると、キモチがとても平和でうれしかったです。

まだ、携帯やパソコンが普及していない時代
勉強や仕事に追われていない頃
ただ目の前の出来事で楽しく遊んでいた子供のころの時間みたいなものかもしれません。

「心身の使い方」を見直す良い機会になっています。

9月 6th, 2011

病とアレクサンダーテクニークへの関心

体調は、だいぶラクになってきて、通院の間隔も長くなりました。
ほっ。

BODY CHANCEのブックコースが新しいグループでスタートしまして、今、私も参加をさせてもらっています。
アレクサンダーの書いた本を読んで課題に取り組む通信講座です。

生徒用のコースにオブザーバーとして参加して
教師用のコースに参加者として参加し、課題にとりくんでいます。

本の中でアレクサンダーは、自分の使い方が健康に影響を与えるということについて力説しています。
彼のレッスンを受けたことによって改善した症例のなかには「そんな症状まで?」と感じるものもありました。

いままで、私は、アレクサンダーテクニークと病気との関係について、関心が薄かったんです。
病気との関係については、使い方を変えたときの「結果」の部分であって、そこに執着したくないと思っていました。
このワークは治療が目的ではなく、自分自身の教育であるという部分を大切にしたいのが大きな理由です。

病気や怪我の改善でレッスンに起こしになる方はたくさんいますが、アレクサンダーテクニークは治療ではないですし、
私も、病気の方用・演技の方用・音楽家の方用 とは考えず、あくまで「その人の使いかた」と「その方の関心」について観察し関連を見ながらレッスンを行ってきたので、あえて「病」というトピックに取り立てて惹かれることもありませんでした。

でも、いま、自分の病気が長引いて生活に影響がでるようになり、この分野に興味がでてきました。
もちろん、今後もアレクサンダーテクニークを治療的にあつかうことはないですが、
関心については強まったとはっきり自覚していますし、病気・怪我との関連からこのテクニークに興味をお持ちになった方に対して、より誠実にさらに協力的になれればなあと思うようになりました。

病気や怪我があるからこそ、もっとレッスンの必要性がある
けれど、その体調ゆえに、レッスンに来ることが経済的・体調的に難しくなるということもあると感じたからです。

いままでも、体調があまりにも悪く、レッスンを続けられないという生徒さんにお会いすることはありました。
「そういうときは、無理してレッスンに来なくても、まずは、治療に専念してから・・・」
と、おもっていたのですが、
いまは「本人が望むのであれば、もっと快適に簡単にレッスンを受けられる環境があったほうがよいのだろうな」と思っています。
まだ、どうやってそういった方をサポートできるかはわかりませんし、
レッスン自体再開できる状況ではないのですが、頭の中にはおいておきたいテーマです。