Archive for 11月, 2012

11月 14th, 2012

学びたいという美しさ

今モデレーターを担当している、アレクサンダーテクニークのブックコース(通信教育)が、本日で終了となりました。
参加者の皆さんはおそらく「終わったー!!」という開放感とかを感じられているのかな?と思いますが、私的には、なんだかしんみりです。

今回のブックコースを通して、アレクサンダーテクニークの経験と、自己の観察能力やアレクサンダーテクニークに対する考察能力は、関係がないのだということを学ばせていただきました。
参加者の自分の「使い方」や「反応」の観察や、アレクサンダーテクニークを理解しようとする真摯な思いに、心打たれました。

もちろん人それぞれなので、ものの見方の角度や捉え方などは違うのですが、「学びたい」「学んでいる」というその人自身の取り組みが、とても美しく見えました。

感謝。

11月 13th, 2012

急ぎたいときの急ぎ方

忙しさに追われるという問題を解決するとき

あせらないあせらない、一休み一休み……という、一休さん的思考は大事ですが

急ぎたい⇔急がないで という二つのエネルギーが拮抗して、身体の反応がうまくいかなくなってしまうということもあります。

「あせらない、あせらない」でうまくいかないときは、急ぎたいという「エネルギー」を上手に使うといいです。

よく、アレクサンダーテクニークは「抑制」をするワークだということで、自分の内側の使える「エネルギー」も抑制してしまう方がいますが、アレクサンダーテクニークを使いながら、「○○したい!!」というエネルギーを使うと、とても効率的にスムーズにエネルギーが発揮されるように思います。

大変!!急げーーーー!!と思ったら

首を自由に、頭は上に、身体は頭についていき、「○○するぞ!!! いそげーー!」とやってください。

 

それは、今日の私の失敗からの教訓でもあります。

今日は、寝坊をして、朝からバタバタと急いでいたのですが、「首を自由に頭が上へ、身体は頭についていく」と方向付けても、全く快適に作業が進みません。

あせるな、あせるな、エンドゲイニング(目的に猪突猛進になること)になるな・・・と思いながら、ハラハラとしているエンドゲイニング状態。

うまくいかないなあとおもいつつ、最悪だ!と、気がついたのは、1歳の子どもに「はい、早くおいで」と、玄関の外から声をかけたとき。

わが子は両手に靴を持ち、呆然と立っていました。

・・・なんと、靴を履かせず、自分だけ外にでて「早くおいで」とやっていたのです。

「だめだこりゃ、完全にあせってる、空回りしてる。」そこで気を取り直せばいいのですが「早くおいで!!」とエンドゲイニングは収まらず。

不思議な顔して両手に靴を持ったまま、トテトテと玄関の外にでてくる。「ほら、お靴履こうね」と、玄関外で座らせ靴を履かせている私・・・。

頭の中は「なんでこんなとこで履かせているんだ!止まらないよ~。玄関で掃かせればいいのに、どうしてこんな外に座らせているの??」という、行動のコントロールができない状態。

それくらい、気持ちが「早く行かなきゃ!」ってあせっている。

で、抱っこして早足で保育園に直行!!

歩きながら「そうだ!急がなきゃ!!っていうエネルギーを使うことをしていなかった。まるで急ぐことをしてはいけないみたいに、エネルギーをとめていた!!」と気づいたのです。

そして、首をラクに、頭が上へ、身体を広く長く開放しながら「急げーーー!」をすると、とても開放感を持ったエネルギッシュでアクティブな反応ができました。
イキイキしていながら、頭がクリアな状態。

やったー!!

しかし、その後、いかに自分がおかしなことになっていたのか、気付かされる出来事が。

保育園に着いて子供をおろすと、変な歩き方をしている・・・。 まさか・・・案の定、変な歩き方は、私の靴の履かせ方に原因が。

靴がちゃんと履けていなくて、靴のかかと部分に、足のかかとがちょこんと乗っかり、片足つま先状態で歩いていました。

そして、胸騒ぎがして家に戻りドアを確認すると・・・鍵がかかっていない。

こうやって、「自分の状態」を客観的に知らせれるとガツンときます。

でもよい学びでした。

 

11月 13th, 2012

食事の姿勢は、食べ物の通り道の状態でもあります。

前回の投稿「咀嚼と感覚。感覚を使って情報を集め体の使い方が変わること。」についての、追伸みたいなものです。

自分の食べ方が改善したので、余裕を持ちながら周りを見てみると、皆さんいろんな体の使い方で食べています。

お箸を持っていないほうの左手。手首の下をテーブルに押し付けて、手のひらがこわばった形で緊張している女性。
一見まっすぐの良い姿勢で食べているけれど、カクンと首・頭を胴体から急降下させている人。
まあるく小さくなりながら食べている方。

私が注目したのは、頭を前にだして、背を丸めて食べていたサラリーマンのおじさん。
頭を前に出しているため、首が横に伸びているような状態。

「これって、つまり、食べ物が口から下に落ちるのではなく、横滑りしていくってことだよね……」

と、改めて、「使い方と機能」の関連性について考えさせられました。

まあ、きっと問題なく胃には届くのでしょうけれど、効率的ではないよね、でも普段そんなこと思わなかったな・・・。
よく、空気の通り道のことは気にするかたいるけれど(歌を歌う方や俳優のかた、音楽家など)食べ物の通り道のことを気にしている方ってあまりみたことないな・・・
食べ物、のどを通りづらそう・・・
と、そのおじささんを見ながらおもっていると

「ごほごほ」

むせたようです・・。

ちょっと、笑えてしまった。
私に「そうです、食べにくいです」と教えてくれたように思えました。

11月 13th, 2012

咀嚼と感覚。感覚を使って情報を集め体の使い方が変わること。

食事中のこと、食べるのことに焦っているいるとか、面倒くさいとか発見してきましたが、
今日、その問題が素敵に解決しましたーー!やったー!

感覚を十分使って食べると、ラク。

これでした!!
体が反応するには、「情報」はやっぱり大事なのでした!

ではでは、本日の観察と実験の経緯をご報告します。

今日、お昼ご飯をお店で食べながら
「まただ。噛むのがめんどくさい。疲れる。というか、どうやって噛めばいいのか、どのくらい噛めばいいのか、よくわからない」
と、食べることを観察しているがために不快感に気づいてしまうということがおきました。

「じゃあ、どうやって食べたらいいの??」みたいな混乱状態。

それは、頭を上に導くという「方向性」だけの問題ではうまく解決できないように思いました。

とにかく「どうしたらいいの?」というときは、「今何が起きているのか」ということを「観察」するのがアレクサンダーテクニークで学んだことです。

『観察して気づいたこと』

・食べながら、食べ物を見ている
・その結果、食べながら、次の食べ物のことを意識している
・その結果、食べながら、まだ早い段階で、次のおかずをお箸で取り始める
・その結果、食べることをせかされているような気分になる
・その結果、無意識の焦りと、ペース配分のわからなさに葛藤

『租借についての観察』

・噛むという、あごと歯に注目して観察していた
・その結果、食べる=噛む=あご・歯の行為だと思ってしまっていた。

『新しいアイデア』  ←ここから、変化をするための実験です!!

・食べている間、食べ物から目を離そう
  →いったい何を見ればいいんだ??ちょっとした不自由感を感じる

『新しいアイデア2』
感覚を十分に使って食べよう。
これが、よかった!!

衣のさくっとした歯ごたえ、その後広がる暖かい肉汁とうま味、弾力性とやわらかさ。
五穀米の時々モチモチ・プツプツした楽しみ
お新香のぽりぽりと、はっきりした味。

とにかく、たくさんの感覚とともに喜びを感じることができた。
同時に素材に気がいったり、イメージと食感のギャップに気がついたり、今までならスルーしていたであろうことにも興味がわいた。

大事なことは、ただそうやっておいしく食べられたことだけでなく「噛む」という行為が改善したこと。
噛むということをはじめは歯で注目していたけれど、舌の存在を忘れていた。(なんてこと!)

租借には舌が必要だった。そりゃそうだー。だけど、はじめはそこまえ意識がいっていなかった。

感覚を楽しんで食べると、味・硬さ・温度の情報にあわせて租借のペースが作られていく

これが重要だったのだと思う。

単なるもぐもぐじゃなかったーーー!

当初、食べることに焦ったり、めんどくさがったり、ペースがわからん?と思ったりしていたけど、それは単なるもぐもぐをしてたからだったのね!!

体が反応するには、「情報」はやっぱり大事なのでした!

きっと、食べながらお皿の上の料理に気がいっていたり、同席している人に注意が行き過ぎていたり、ほかの何か(TVや景色)に意識が向かい、食べることの情報を取りこぼしているかたは、私意外にもいっぱいいるのではないかな。

食事を視覚・嗅覚・触覚・味覚をフルにつかって楽しむことを、たまには思い出してもいいと思います^^

これで、快適においしいご飯が食べれます!!!!よかった!!
 

11月 12th, 2012

アレクサンダーテクニークがうまくいかない原因と、うまくいくために必要なこと

アレクサンダーテクニークの授業で、私は「望みが大切だ」と学びました。 今は納得して、自分自身でもそう思います。

前回の投稿で、私は「疲れている、だからアレクサンダーテクニークがうまく使えない」と思っていましたが、「そうではない」ということに気づきました。

私が心身の調和を取り戻したそのきっかけは、「アレクサンダーテクニークのブックコースの投稿を読もう」と思ったことです。

そこに、心身の協調作用を改善する「アレクサンダーテクニーク」を使うことがうまくいった理由があると思います。
つまり、何のためにアレクサンダーテクニークを使うのかという明確な望みがあったためです。

アレクサンダー自身もそうでした。 彼は「朗誦時に息を吸い込む音がし、声がかすれる問題を解決したい」という強い願いがありました。
研究が進んで「朗誦していないときは、自分の使い方を改善できる」といった段階では、研究を終わりにしませんでした。
「朗誦をしている間も悪い使い方の習慣を抑制し、頭・胴体の良い使い方を維持することができる」という段階になるまで、満足することはありませんでした。

私は、風邪で、寝不足で、疲労でエネルギー不足だとかんじていたのですが、アレクサンダーテクニークを使うために必要な

・何のためにアレクサンダーテクニークを使うのか
・それは、習慣的・固定概念的望みではなく、今のはっきりした望みなのか
・習慣を抑制して、アレクサンダーテクニークを使うことを意図していたのか

ということが欠けていたのだと思います。
これらは、アレクサンダーテクニークを行う、重要なエネルギーです。だから、ほんとうにエネルギー不足だったんですね。

この望みというエネルギーは「メラメラ」と熱く燃えていなくてもかまわないんです。明確であればいいんです。

(むしろメラメラと燃え滾っていると、習慣的目的凝視状態のエンドゲイニングに陥りやすいですね。何がなんでも!!とか思って。)

私は「ブックコースに投稿される投稿を読もう」と思い、そのために、アレクサンダーテクニークが必要でした。
あせってしまっては、投稿を読んで内容を把握するという作業の支障をきたすということがわかっていたので、自然と「必要があって」アレクサンダーテクニークを使うことができました。

この、「望みのために、自分の協調作用を面倒みること(アレクサンダーテクニークを使うこと)が必要だ」という理解が、ほんとうに大切ですね。

もちろん「疲れたなー」と思っていたときも「アレクサンダーを使って少しラクにならないかな」と思いましたが、それは明確に思っていたのではなく
「作業に没頭し、習慣的な反応の中に居ながら新しい選択をする
という、一般にアレクサンダーテクニークで「習慣の抑制」というものがない状況でした。

それをしなかったは、それでもなんとか今の作業はできる・・・・・・という状況だから、意識が目覚めなかったんですね。

人間ってなんだかんだいって「今のままがラク。好き」だったりします。 判断能力が習慣に侵されているんですね。怖い言い方すると。

アレクサンダーテクニークをやろうとしてうまくいかないとき、「何のために使おうとしているのか」「習慣を抑制して”やろう”としているのか」を観察してみるといいですね。

アレクサンダーテクニークを何のために使うのかを意図することの大切について、こちらもご参考にどうぞ眠れない夜にアレクサンダーガイダンス


2 / 41234