Archive for ‘Book’

7月 14th, 2014

建設的意識によって使い方を変える

 

先日、アレクサンダーテクニークのレッスンをスカイプ(音声と動画)で受けるという面白い体験をさせてもらった。

先生に触れてもらうことはできない「オンライン レッスン」という手法だったけれど、すごくよかった。
先生がテクニークについて説明してくれたり、私の動きを見ながらアドバイスをくれることで、
無意識のうちに私が私をどんなふうに使っているのか気づくことができたし、
今後、どんなふうに自分の使い方にアプローチしていくことができるのか、
新しい提案を貰うことができた。

人は問題に意識が向きやすい。
けれど、問題がある部分から問題のない部分に注意をむければ
(思考が建設的になれば)心身に驚くほどの変化があることを見たり体験したりした。

自分について意識できる部分や、コントロールできることなんてわずかで、
私たちの大部分は、「気づくことができない部分」のシステムに支えられている。

自分にいま、調和があるのか、不要な緊張があるのか、必要な緊張がないのか…
そういうことを感覚的に知ろうとしたり、改善しようとすることがほとんどだと思うけれど、それはうまくいかないことが多いですよ……という前提がこのテクニークにはある。(その理由は、今はおいておく)

自分全部についてすべてに気づくことができないけれど、「自分というシステム」がうまく働いているかについて、アレクサンダーテクニークでは頭・胴体の関係性(プライマリーコントロール)をとおして判断したり、
そこをケアすることで、自分全体のシステムを丸ごとケア調和をもたらしていける……と、考えている。

そして、その頭・胴体の関係性は、
私のちょっとした意識でひとつ、解放されたり、緊張に向かったりする。
今回のレッスンでは、ほんの一瞬のちょっとしたことで、自分の邪魔をしてしまうのだということを痛感させられた。

私が、どんなときにその一瞬の邪魔をするのかわかっていても、やめるのは難しい。
「気分」はすぐにいつものやり方に私をつれていこうとする。

だから、それに対抗するためには、ほんとうに、意識的に、建設的であり続けようと、強く自分の手綱を持ち続けて、
自分の意識ををいつもと違う方向に向け続けていくという、強い決意が必要だった。

ここに、「習慣を抑制する」ことと「新しい方向性」の両方があるのだ、と先生が言って、
「まったく、その通りの体験だった」と納得し、その繊細な意識の方向付けに「うーん…普段、ここまで厳しく繊細にきわきわのところで、自分を方向づけてはいないなあ」と反省したのでした…。

いま、アレクサンダーの著書
The Universal Constant in Living
を読んでいて

自分の使い方が、自分のメカニズムの働きを
統合する力をもっているからこそ「機能を恒常的に改善する結果が生じる」
という事を、体験を通して理解することが、統一性という概念を実行に移す前に必要。

と書いてあるのを読み、

私が先日オンラインレッスンで体験したことは、
まさにこれだなあとと納得した。

付け足すならば、「自分の意識によって、自分の使い方が、自分のメカニズムの働きを統合する力をもっているという事を体験を通して理解した。」
かな。

その体験と理解があったからこそ、レッスンが終わった後も学んだことを1人で使って練習することができる。
ほんとうに、自分を使うって、自分がしていることを知ることや、
新しい方向付けについてクリアになることがすごく大事なんだなあ…
じゃないと、一人で練習できないなあ…と感じたのでした。

まあ、クリアじゃなくても、練習しながらクリアになっていくというのもあるけれど、
「わたしはここで、こうやって、自分のつかいかたの邪魔をする」って知っているのは、私にとっては大事なことでした。
(「今なにがうまくいっていなかったのか知る必要はない、何を考えることが必要なのか知っていればOK」みたいなアプローチもありますが)

今回の学びは、アレクサンダーテクニークでは当たり前のことだから、
こうして文字に起こすと何をいまさら…なんだけど
アレクサンダーのレッスンでは、当たり前のことを何度も体験を通して
「わあー!本当だーー!!」とやっているといってるわけだからなあ…。

でも、毎回新しいことのように感じる。

「わーーー!まだまだこんなに可能性がある!!」の連続…なので、いつまでたっても「出来る」っていう実感が得られないなあ。
うれしいことではあるのだろうけれど……。
しばらくは、この”きわきわ”の注意力をどれくらい使えるか練習していきます。

11月 5th, 2012

アレクサンダーがRADAの創立メンバーだったこと

三輪えり花さんの書かれた『英国の演技術』という本を読んでいます。

えり花さんは、私が劇団の養成所に通っているときの先生で、まさに、私とアレクサンダーテクニークとの出会いを作ってくださった方です。

この本の出版前には、私もアレクサンダーテクニークの項目についてチェック作業に携わらせていただきました。
(チェック作業といっても、えり花さんはアレクサンダーテクニークについて熟知されていますので、私が出る幕はほとんどないのですが)

最近とても忙しく、やっと数日前から読み始めています。
読み始め冒頭から、かなりの衝撃でした。

RADA(英国王立演劇アカデミー)という場所は権威のある演劇学校であるということ、アレクサンダーテクニークのレッスンが基礎として組み込まれていることは承知していましたが、これほどまでの難関校であり、イギリスにおいてプロの俳優となるために、学校の役割とはこんなに大きいものなのかとびっくりしたのです。

そしてその後に続く、アレクサンダー氏がRADAの創立メンバーの一人であったということ・・・

えええーーーー!知らなかったーーーー!
誰からも、そんなこと、聞いたことなかったーーーー!!!と、びっくりしてしまいました。
なんで、こんな重要なこと、いままで誰も教えてくれなかったの??

このことを知って、私は師匠であるジェレミーさんに「アレクサンダーはRADAの創立メンバーだったの???」と聞きました。
彼はアレクサンダーテクニークに関する雑誌を出版していたくらいですし、世界のアレクサンダー事情にとても詳しいのです。
ですが「え?? 聞いたことないよ・・・でも、アレクサンダーは俳優トレーニングを始めた最初の人だよ!!」
んんん?? 「創立メンバー?知らないなあ。友達にも確認してみるよ」と。
「でもこの本は、RADAの人にチェックされているんだよ」「ああ、そうなんだ!じゃあその本が正しいね!!」

とにかく、それはグッドニュースだよね!!と、とてもホクホクしました。

読後感想は、またのちほど~。

**著者の三輪えり花さんから、追加情報を頂きました。
アレクサンダーが創立メンバーだということ、
正確には、RADAの創立時代に、創設者であるビヤボム・ツリーに招聘されたのだということです。

4月 13th, 2012

インヒビション 神経の最大限の働き

今、私の大好きな本、「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」を開いたら、
衝撃的な文章に出会ってしまいました。

シェリントンは言っている
「ある行為を抑制(インヒビション)することは、その行為に集中することと同じだ。抑制(インヒビション)は、神経が最大限に働く〔積極的な〕活動なのである」

なんだか、がつんと一発食らったような。

ちょうど「ああ、あれしなくちゃ、これしなくちゃ」と、時間を気にしつつソワソワしていたところだったので。

この文章、ほんとに、ほんとに、そうですよね!!!

インヒビションのない普段、
私たちって、一生懸命になってるつもりが、盲目になっているだけだったり、
がんばっていると思っているけれど、実は無駄な事をいっぱいやっていたり
「やってる!!!」って力説したくなるときほど、
自分の中で無理やり感を感じて、眼をつぶって力走するような、そんな状態だったりする。

インヒビションは、「しない」=「とめる」って勘違いされやすいけれど
インヒビションは 「こう!!」と思っていた認識・意識活動から
「こう!!」を取り除いて、
広い意識で状況を見渡すことができるようにしてくれるようなもの。

習慣的なジャッジメントや反応を取り除き、
その時々の状況にあった反応を選べるように土台を作ってくれるようなもの。

インヒビションすることによって、視野が広がり、意識が鮮明になり、集中力が増し、自分の中心が定まる。
自分と外とが一体であるような、
自分と外の区別がついて安心するような、
なんか、いつもと違う、そんな空気がやってくる。

そんな状況では、いつもと違う答えが自然と生まれたり、
全然違う反応でコミュニケーションをしていたり、
すっごく気になるであろう人の目が全然気にならなくなったり
こうでなくちゃという観念からするりと自由になれたりする。

開放であり、集中。

それを

「神経が最大限に働く〔積極的な〕活動なのである」

という言葉が、一見「静か」なこの状態は、実はとても活発な状態なのだということを教えてくれた。

いつもの習慣的な状況と間逆。
きっと、習慣的にただパターンで反応しているとき、私の身体は反応しすぎで、私の脳みそはグーグーと眠りこけている。

というか、ほぼ、毎日、眠りこけている。単純な毎日のリピート反応。
あんまり、神経を使っていないんだな。

もうすこし、脳みそを使って、
開放され、集中し、自由な選択ななかで生活することを楽しみたい。

と、思ったら、ボケーとした顔に、イキイキと微笑みがやってきた。
「ちゃんと、観る・選ぶ」という姿勢がやってきたんだな、と思った。

インヒビションは、無感情になることでもない。
インヒビションによって、自然と幸福感が増したりもするんだよね。

11月 27th, 2010

The Alexander Technique A Skill for Life

The Alexander Technique A Skill for Life という本をすこーしづつ読んでいます。

この本は、「音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門」 を書いたペデロ・デ・アルカンタラさんによる別の本。

数年前に購入したのだけど、英語なので読む気力がおきず、ほったらかしになっていたのでした。

ですが、数ヶ月前、「あれ?この作者”ペデロ・デ・アルカンタラ”って書いてある」と、やっと気づいたのです。
「音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門」は、アレクサンダー本の中でもおきにいりの1冊だし、目次をみたら面白そうなので、ゆっくりゆっくりゆっくり・・読み始めました。
英語の勉強を兼ねて。

読み進めていると、とてもよい本で、ところどころ、「じわーん」・・・と感じ入ってしまいます。

アレクサンダーテクニークに関する事前の概念を持たないで
オープンマインドになり、
アレクサンダーテクニークに関する知的な理解を開放させて、
レッスンの体験そのものから、自然にアレクサンダー原理が流れるよう、
レッスンを経験しましょう・・

という様なことが書かれていて、読んでいるだけで、いい気持ち。
(ちなみに訳はテキトーです。私の頭のなかではこんな感じで読んでいるという雰囲気です。誤訳があるかも。)

「ああ、そうか、
事前に頭でわかっている必要はないんだな、
まっさらな状態から、レッスン自体が私に新しい体験を与えてくれる。
私に体験が訪れてくれることを受け入れて、
私のシステムが動きだしてくれることを許して、
そのときそのとき、レッスンごとに、新しい体験と理解があるんだなー・・・」

と、ふわりと何かから開放されて、新鮮な生命感が訪れるような、そんな気になってきます。
「今」を経験することが色濃くなって、でも広々していて、たくさんの繊細な動きの中にいる、そんな感じ。

この人のアレクサンダーテクニークの説明を読んでいると、それだけで、不要な努力や準備から開放されるよう。

頭で知っていることだけど、ハートに響いてくるような、
アレクサンダーがいうところの’Self’全体に響いてくるような、
そんな説得力。

他にも読み進めているアレクサンダーの本があるのですが
(こちらもゆっくり、ゆっくり)
こちらの本は知的好奇心が刺激される感じはあるものの、体全体で「うんうん」という感じはあまりないのです。

なので、この本が心身に響くのは、ペデロさんの伝達力によるものなのかな?なんて思ったり。

現在、邦訳出版されているペデロさんの「音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門」は、タイトルから「音楽家だけのもの」と感じるかもしれません。
けれど、決して音楽家のためだけの本ではありません。
具体例として出くるケースは音楽家が体験するような事例なので、読者のメインターゲットは音楽家なのでしょうが、音楽家のものだけにしておくのは、もったいないです。
コンテンツの内容や説明がとても丁寧だと思います。

今私が読んでいる The Alexander Technique A skill for life  の目次には、
・感情
・ヘルス&ウェル・ビーイング
・スポーツ&エクササイズ
なんていう項目がふくまれていて、読者のターゲットはもっと広くなっています。

パフォーマーでもミュージシャンでもない普通の人である私は、
この本のタイトル「A Skill for Life」に惹かれて、購入しました。

購入してから読もうと思うまで時間がかかってしまったけど、やっと少しづつ読み始めて、この先を読むのも楽しみです。
読み終わるのはいつになるやら・・・ですが。

4月 4th, 2009

アレクサンダーレッスン 本・言葉との相性

先日
「”頭が胴体から離れていく” というのがわからない」
という質問をうけまして「え??」
と、ちょっと戸惑いました。
 
(私、そんな説明したことあったっけ?)
 
アレクサンダー教師は、言葉の使い方に気をつけることが多々あります。
なので、その『頭が胴体から離れていく』というのが、何を示しているのかはわかりますが、それは
(私だったら、そう言わない)
という表現だったんです。。
 
今だからこそ、「頭が胴体から離れていく」が何を示しているのかわかるので(ビギナーの頃よりは・・・)
「それは、こういうことだよね」と脳みそが自動翻訳をして、
そんな体験を、私自身に起こしてくれるかもしれないけれど、
ビギナーだったころの私には、確実にうまくいかない表現だと思います。
逆に、緊張して、「頭が胴体に近づいていく」が起こりそうです。

で、私はそう説明したことはないと思うので、どこでその言葉を知ったのかなと思ったら
アレクサンダーの本に書いてあったようなんですね。
ああ!なるほど! と。
 
確かに、その本に書いてあることは間違っていない。
私はこの本を書いている先生をとても尊敬しているし、本もオススメできる良い本だと思っています。
本の該当のページを見ながら思いました。
「・・・そうだよね、間違ってないよね。 そのとおりだよね・・・。
だけど、この言葉がそれを起こしてくれるかは、やっぱわかんないよね・・・。」
その表現が、その方にはぴったりではなかっただけのことだと思うのです。

じゃあ「本を読まないほうがいいよ」ということではなくて、
「本」を読んで復習できたり、思い出したりすることができると便利なんだろうなーと思って、
違う本を提案してみました。

その本には
「頭が胴体から離れる」ではなくて
「頭が繊細に動く」という表現から始まって、動きを提示しています。

その方には、こっちの方があっていたようでした。

こんな風に、アレクサンダー・テクニークの原理は同じでも、
その説明の仕方・言葉の使い方によって、理解度が異なるという「言葉との相性」があると思います。

また、同じ言葉でも、声のニュアンス(黙読でも)でもだいぶ変わると思います。

「おすすめの本」を聞かれると、いまでも迷ってしまい
「この本はこういうところがよくって」
「この本はこういうよさがあって」
なんていくつもの本のいいところを紹介してしまい、逆に生徒さんに「うーーーーん」と余計選べなくて困らせてしまったりします。
(すみません・・オススメべたで)
きっと、「この本がオススメ!」と一点紹介するのが気持ちいいのでしょうが。。。
やっぱり、わかりません。
人と人 と同じように 本にもご縁と相性があるように思います。

もし、本を読みたいなら
「いろいろ読んでみたら?」
が正直なところです。
ほんと、おすすめをするのが苦手ですみません

たくさんの表現や言葉と出会って、だんだん、意味していることの正体みたいなのがはっきりしてきて、
最後は、『自分の言葉』にできるといいですね。

(でも、本だけではなくて、やっぱり体験が大事だと思いますが。)

その質問で、私も「なるほどなー」と学ばせていただきました。
ありがとうございます。


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