アレクサンダー・テクニークの「方向性を思う」

アレクサンダー・テクニークでは自由になるために、
「方向性」をオーダーすることをします。

「首が楽になる」
「頭が前へ上へ動く」
「背中が広く長くなる」

それを、【思えばいい】というのです。

ただ、「思えばいい」というと簡単だけど、その意図していることがどれだけクリアかと言うことはとても重要。
本を読むだけでアレクサンダー・テクニークができないのは、その「方向性」が、体験的にクリアなものではないからだとも言えるのではないかな。

自己流の「楽」
自己流の「頭が前へ上へ動く」
自己流の「背中が広く長くなる」

では、いくら思ったってその本が説明しているような事は起きない。
だから、生徒さんは、レッスンに通う。
(すばらしく的確な”自己流”の方は、もう”自己流”ではないということになるのかな)

今日は、そんな「意図のクリアさ」「選択の重要性」を感じた日でした。

—↓↓ 以下そんな今日の出来事 ↓↓—

今朝は朝からとても身体がだるかった。
そんな日に限って、夫に朝から頼まれ事をしていた。

「寝ていたい」のと「いかなくちゃ」
の葛藤。
布団のなかで「う〜〜〜ん」と悩んでいるうちに、いろんな事が大変に思えてきた。

こんなに身体が辛いのに、人の趣味の為の用事(バトミントン ラケットのガット張り!)の為に出かけるなんて…
ああ、呼吸が早くてゼエゼエしてる。これは本格的に具合がわるいぞ…
昨日の夜、あんなに夜中までがんばらなければ…
今日のレッスンのスケジュールは確かみっちりだったけど、こんな身体で大丈夫だろうか…
でも、いずれにしても起きなければ行けないんだから…早く起きないと…いやいや後5分…

とか、こんな感じにぐるぐるしていて、実際、寝てもいられない。

とりあえず、げっそり・ぐったりしながらも夫のお使いを済ませて、
レッスンの為にスタジオに向かい、ちょっと早めについたのでお茶をしながら考えた。
「このだるさ、この疲労感・・・これは一体、何が起きているのかな?」

そこで気づいたのは

「結局、私は、決められなかっただけなんだ」
「結局、私は、宙ぶらりんで、エネルギーの浪費をしていたんだ」
「結局、私のぐるぐるは、私の宙ぶらりんが作り上げたものだったんだ」

じゃあ、決めよう。 と、 思った。

「私は、今日も元気に仕事をしよう」

と思ったらあら不思議、いきなりムクムクと元気になって、すっかり楽になった。

そこで学んだのは「自分のエネルギーの方向性は、さっさと決めるのがいい」ということ。
身を以て実感した。

「逃げるか戦うか」を決める野生の動物のように、さっさと自分の方向を決める。
どちらにするか決められないと、動けなくなって、ガブっと食べられちゃう。

人間の場合、食べられちゃうことは無くても動けなくなって不自由になったり、
今日の私のように、ただエネルギーの浪費で終わる。

さっさと決める
と、いうことを、しばし遊んでみようと思う。

それは、冒頭の、アレクサンダー・テクニークでいうところの、自分の方向性をクリアにすることに通じる。
そして、「方向性を思えばいい」ということと通じる。

生徒さんは「この方向性であっているのかな」「こうだったかな?」「前回のレッスンのときの、あんな感覚にどうしたらなれるのかな」という思いで、方向性のクリアさを失うことが多々ある。
それは、誰もが通る道だと思う。
そのプロセスは、フツウだと思うけど、実際必要な事もあると思うけど、
でも、それは単に、ぐるぐるして「選択できない」状態で立ち止まっているだけでもあるかもしれない。

それなら、間違っていてもいいから、その方向性を使って、失敗して、「あ!うまくいかない!」とさっさと気づいて、次回のレッスンの糧にした方がいいかも。
もちろん「あ!すごい!いい感じ!」となることもあるし。
実験してください。




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