アレクサンダーテクニークで開かれる表現力

本棚を整理しているときに、古いレッスンノートを開きました。
私がアレクサンダーテクニークの訓練生だったころのノートです。

その中に、アクティビティレッスンの記録がありました。

それは、「子供と話す」というレッスン。
「子供が言うことを聞いてくれない。わかってくれない」 それについてのレッスンでした。

子供を叱る、上司に意見を言う、友人に文句を言う

そういったレッスンも、アレクサンダーテクニークのアクティビティレッスンとして扱われることが多くあります。

アクティビティレッスンとは、実際にその行為を行いながら行うレッスンです。
ノートに記録されていた「子供にわかってもらう」レッスンで、私は子供役になり、母親に叱られる側からレッスンの観察をしていました。

始めに、生徒さん(お母さん役)は、いつものようおに子供(私)に話はじめます。
何を話されたのかは記録になく、記憶にもありません。
でも、ノートには「お説教。 お説教というより、批判され拒絶されている様だった」と、そのときの気持ちが書かれていました。

次に、アレクサンダー教師が生徒さん(お母さん役)にハンズオンレッスンを行います。
 (*ハンズオンレッスン=教師が生徒に触れて、頭・胴体の調和する関係がやってくるように助けます。)
教師に触れられながら、お母さん役が、また話しはじめます。

すると、お母さん役の話し方がまったく変わってしまったのです。
いまにも泣きそうな、そんな様子に。

私はこう記録しています。
「とても悲しそうだった。お説教ではなく、とても心配していて、お母さん自身が不安で仕方がないんだなと感じた。 
実際にああいうふうに、”母親”としてではなく、一人の弱い人間という部分が見えるところから語られたら、私は本当に動揺するだろうな。
本当に、言われていることに耳を傾けて、そのことについて考えようとするだろうな。」

私は、そのお母さん役のコトバではなく、その存在全体からメッセージを受け取ったようです。
そして、さっきとまるで違った様子に驚きつつも、実際に自分が実の母親からそのように語られたら動揺し、話に耳を傾け、その訴えについて考えるだろう・・・と、わが身に照らし合わせて心を打たれたようです。

レッスンの課題「子供が言うことを聞いてくれない。わかってくれない」という問題が、お母さんの身体に調和がやってきたとき、このような流れになった面白さ。
それを、頭ではなく、心で理解するという体験をしました。

このノートを読み返しながら、とても新鮮な思いでした。

アレクサンダーテクニークのレッスンで”話す”というレッスンの結果として「はっきり、クリアに、明確になる」ということがよくあることですが、それとは違った表現力が引き出されるというのも、大事に心にとめておきたい部分です。

感情が声をかすれさせ、震えさせてしまったことによって、もしかしたら「うまく語れていない」と感じるかもしれません。
けれども、「自分の思いについて述べる」その伝える力は断然繊細になり、真実味を帯びて私(子供役)の方に届いてきました。

このシチュエーションは、コトバを伝えなければならない「セリフ」や「歌」というものとは違います。
「子供にわかってもらう」この目的を十分に果した素敵なレッスンでした。

私が音楽家や役者さんなど表現者の方たちとアレクサンダーテクニークのレッスンをしていて心打たれるのも同じような視点からです。
その人の動き、声、表現する音、そういったものから「その人の想い」もしくは「その人自身」がより繊細に伝わってくることが、奇跡のように起こるからでした。
(ただし、彼らの場合は感情に乱されて何を言っているのかわからない、音程が狂う・・・となったらうまくいかないので、そうならないためのレッスンになることも多いです)

実際、はじめてアレクサンダーテクニークのアクティビティレッスンを見たときは、マジックか魔法か・・・ホントにそんな奇跡を目にしているようで、とても感動しました。

「思いが、伝わる」 それは、ごく普通で自然のことなので技術ではないのかもしれませんが、多くの人がそれを抑制しながら表現しているのを見ると、表現できるようにすることはやはり「技術」に含まれるのかもしれません。

私たちは、「伝えるために、何かをしなくては」と考えたりしますけど、
本質的には、自分の抱えているものは「伝わってしまう」ことがほとんどであるように思います。
そして「何とかしなくては」を抱えているときには、その「何とかしなくては」の必死さの方が伝わってしまって、「伝えたいこと」の方が伝わらなかったりすることもありますね。

そもそも、私たちは「受け取る力」というものもいろいろフィルターを抱えていることが多いので、伝える側だけの問題ではないと思いますが、それでも自分のあり方ひとつで、伝える態度・受け取る態度は変わりますし、自分のあり方が変われば、相手のあり方が変わることも多いです。
「自分の使い方」は伝染しますから。

古いノートを読み返し、
伝える力は、必ずしも明朗に話すこととイコールではないこと
アレクサンダーテクニークによって起こることは、「あるべき姿」ではなく、その人の生命感が花咲くような姿であることを思い出しました。