アレクサンダーテクニークのレッスンは、願い続けるレッスンといえるかも知れない。

アレクサンダーテクニークのレッスンは、望み続けるレッスン、願い続けるレッスンといえるかも知れない。
アレクサンダーテクニークの原理であるミーンズウェアバイも、方向性も、それを意図することは「願う」といってもいいくらい「繊細な意識的メッセージ」を身体に送ることだからだ。
 

エネルギー・目的となる「望み」

アレクサンダーテクニークを行う上で、「望み」とか「目的」は大事なものであると何度か書いてきた。

望みが大事な理由は

・習慣から抜け出すための、モチベーションになるため
・自分のエネルギーを方向付けるため
・『正しさ』を目的にしないため
・どこに向かうかの指標となるため
・アレクサンダーテクニークで得られる「自由」「自立」からは「望み」というキーワードが欠かせないため

ざっくりこんなアイデアが湧く。

ミーンズウェアバイ・方向性・望み

望みとは単にアレクサンダーテクニークを行う目的・モチベーションとしてあるのではなく、アレクサンダーテクニークを実行するときにミーンズウェアバイを大切にすることや、方向性をオーダーすること自体も「望み」と捉えてよいように思う。

それは、上記にあげたように、望みがエネルギーの方向付けと関わっているからでもある。
それに、望みとは外からの「強制」ではなく、内側からの「欲求」としてのエネルギーだから、自分に対するメッセージである方向性やミーンズウェアバイを意図することは「技術的なこと」ではなく「望み」と捉えたほうが、うまくいくと思うからだ。

アレクサンダーテクニークのキーワードのひとつである「ミーンズウェアバイ」は、無意識に目的に猪突猛進しないで、意識的に習慣から抜け出すためにプロセスを大事にすることを指す。

これをするには、行動をするときに「プロセスを大事にしよう」という「望み・願い」を持ち続けることが必要だとも言える。

「方向性」とは、「首はラクに、頭は上へ前に、背中は広く長く」という身体の開放される方向を示し、この方向に開放されながら動くことで、機能的で負担の少ないからだの使い方をすることができる。

この「首はラクに、頭は上へ前に、背中は広く長く」というのも、意識の中でそう意図することであって、そのように身体にメッセージを送ることは「望み・願い」といってもよいように思う。

実際に、方向性を意識するとき「お願いする」という表現をする先生もいる。

私は「考えて」「思って」と言うことが多い。

どちらにしても、頭を上へ引っ張りあげようとしたり、広げようと筋肉的に操作することではなく、「意図する」くらいの繊細なレベルで身体へメッセージを送り、体が反応することが大事。

それは、ふわりと緊張がほどけるような動きであったり、すくすく身体が伸び上がるようなことであったり、ゆるやかに身体が大きく広がるような動きとして現れたりする。

「気をつけ」の号令でピシっと姿勢を直立させようとしたり、ちょっとお澄まし気味にあごを引いてみたりする、「姿勢の操作」とは違う。

「ミーンズウェアバイ」も、「方向性」も”願いで構成されている”と思うと、
アレクサンダーテクニークとは、自分自身のあり方・反応の仕方を「願い続ける」ワークというように思えて、私にはとても気持ちが楽になる。

自分でなんとかしなくては、というような思いプレッシャーのあるものではなく、
「願いつづける」という寛容さとやわらかさ、自分への優しさを感じる。

「コントロール」と「まかせる」

アレクサンダーテクニークは、「自分で自分の面倒を見る」というワークなので、自分に厳しくなってしまうことがあるから、この「願い続けましょう」という姿勢は、どこか「コントロール」から「まかせる」という意識に移りやすくて、よいのではないかな。

実際アレクサンダーテクニークで行っているのは、自分自身の「心身のシステム」に任せられるようになることだとも思っている。
そして、任せられるようになるために、自分の意識を明確に使う操縦者としての、「コントロール」は必要。

コントロールするのは「意識」のほうで「身体」のほうではない・・・というと、ややこしいかな。
意識も身体も一緒だけれども、一緒だからこそ、「意識」を操縦する(方向付ける)ことは、身体のコントロールでもある。

意識が何をメッセージとして身体に送り続けるのかということが大事で、
「無意識に送り続けている弊害のあるメッセージ」から「意識的に建設的なメッセージを送る」ということをするのがアレクサンダーテクニークだ。

その建設的なメッセージを送ろうにも、時には厳しいガチガチのコントロール感でメッセージを送ってしまうこともあり、そうなると、身体もガチガチになっていく。

だから、メッセージの質感というのは、とても大事。

個人的には「願い続ける」と思うと、メッセージを送る負担も減り、メッセージの質感としてもちょうど良いという感じがしている。

アレクサンダーテクニークのレッスンは、意識の操縦者がキリキリと自分を見張りコントロールするのではなく、操縦桿のほどよい握り方、動かし方を練習し続けているようなものですね。

コメントを残す

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください