スリッパを履くだけで幸せ。 動きの連続性

私はよく、レッスンで生徒さんに伝えたことを自分自身に言って、自分にレッスンをしたりする。

今朝、自分の言葉を思い出しながら布団から起き上がってスリッパを履いたら、まるで違う日常の始まりのように感じた。

朝、布団の中で、レッスンで伝えたかったことを思い出していた。
寝ている姿勢から起き上がるときの、動きの連続性について。

「顔が横を向いていきます・・そうそう・・・・首が動くでしょう。
今、とてもスムーズに頭が振り向くことができた。
頭が横に振り向くように動いて、その動きに首が順番に続いていって回転して、ここまで顔を横に向けることができた。

でも、今、首の下の身体は動かずにそのままでしょう。
動きがの連続が、首のところで止まっているのね。そういうこともできますよね。
動きの連続を、途中で止めることもできる。
それに、今は無理に止めているわけでもないし、別に良いとか悪いとかでもないのね。

そういうこともできるんだけど、これから起き上がろうとするときには、身体全部がこの頭の動きに続いていきたいんですね。
そのためには、まず動く前に、これから動くんだっていう意識上のメッセージが身体全体に届いていて欲しいんです。
動く前にね。

じゃあ、今度は、身体全体が頭の動きに続いていってみよう。

頭(顔)が横を向いていって、首が順番にその続いて動いて・・・もっと顔が横を向こうとすると・・・そうそう!
そうすると、もう身体のほうでバランスを取るために手や足が動き始めないといけない。
でも、動く準備が出来ていたから、どうやって動かすかということを考えなくても、身体全部が勝手に連続性を保ちながらバランスよく仰向けから横に向きを変えることができたよね。

頭が動いて、身体全部がその動きに連続的についていって動けるんだよね。 すごく軽やかでスムーズだったね。」

その言葉を布団の上で思い出して、起き上がってみようと試してみる。
なめらかに、ころりと身体が転がって、一端、つま先を立てた正座の形になった。そこから静かに立ち上がる。
なんだか武道をしているようなしゃっきり感と、自分の周りの空気が広く柔らかく感じられるふんわり感。

立ち上がるときには、頭が背骨を上方へと導いて、四肢はそれに続き、2本の足で立つ。
「立っている」という頑張りがなくて、足の裏が柔らかく床に接して次の動きの準備が既に出来ているように感じられる。

頭を思い出し、歩いてみる。
水の中を歩いているときのように、身体全体と周辺をゆったりと感じられる。
朝を、こんなふうにやさしくはじめらるなんてすばらしい。

そこから、スリッパに足を入れようとしたとき「ああ~、いつも自分の身体をを押しつぶしながらスリッパを履いていたんだ!」と気づいた。
今朝は、上からふんわりと下を優しく眺め、足先の指が柔らかいまま、スリッパの中に足をすべりこますことができて、ただただ「うわあ・・・」と感激した。

スリッパを履くだけで、こんなに幸せになれるなんて~。

わたし達の動きには、連続性がある。

魚・蛇などの背骨があり手足がない生き物を見てみると分かりやすいし、しなやかな猫の動き、躍動感ある馬の走り、すばらしいアスリートやダンサー達の動きからもそれは分かる。

これは、身体の構造と、その使い方から生まれてくる動きなので、自分の動きを阻害する習慣を減らしてあげれば、もともと持っていたシステムは美しい動きとなって現れてきてくれる。

それで、こうやって、幸せな気分や心身の快適さを一緒にくれるのだから、”習慣を減らす”という練習は地味だけれどもほんと奥深い。

ちょっと気を抜くと、いつでも習慣にもどってしまうのだけど、それでもちょっと思い出せばまた習慣から抜け出ていける安心感。

アレクサンダーテクニークには、出来るとか出来ないとか、そういう枠がしっくりこない。
「思い出す」とか「忘れる」という方がしっくりきます。

ほんとそうだ!

出来たか出来ないかを気にするのでなくて、思い出したかどうか、使ったかどうかを大事にしていればいいんだよねー。

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