早く終わらせたいと焦る気持ち

お休み前やお休み明けは、仕事がたくさんあったりして焦ることがよくある気がします。

今日も明日は休日ということで、事務仕事を早く片付けたいと心が焦っていました。

アレクサンダーテクニークの通信講座に提出された課題やエッセイを読もうとしたとき、この焦る気持ちは膨れ上がって、ちょっとした機能不全に陥りました。

まだ何も手を付けていないのに、「すべて読んだ!読み終わった!」という達成感を熱望して
「提出ありがとうございます!」とメールでお返事しているところまで想像し、すがすがしい気持ちを早く得たいと思っている。

気持ちだけが「完了地点」にいて、現実的にも「今すぐそうでありたい」と気持ちが焦って、提出物をゆっくり読む余裕が感じられないんです。

「だめだ!これじゃせっかくがんばって書いてくれた回答もエッセイも頭に入りそうにない!!」

まさに、アレクサンダーのいう「エンドゲイニング(目的を達成しようと突進するやり方)」という状態。

このエンドゲイニングは、あらゆる面で「うまくいかない」結果を招いてしまいます。

結果に向けて逸る気持ちに気づいたら「ちょっと、まって、やり方を変えないとね」と、自分に言ってあげられることが、アレクサンダーテクニークの力。

私の望みは「早く終わらせたい」ではない。
習慣的には、そう思っちゃうけれど、
本当の望みは「提出された課題を味わって読みたい」ということだ。

そうだ、そうだ。
だから、そこに時間との戦いを持ち込みたくない。

ちょっと落ち着けば、どこに向けて自分が走り出そうとしているのか、より明確になることもできるし、そのためのプロセスについて整理することも出来ますね。

時間のことは把握しつつも、この忙しない心は不要だ。
いまはただ、時間への意識を緩めて、やるべきことにじっくり取り組もう…。

早く終わらせたいと思っている時は、ひとつひとつの仕事は自分にとって「荷物」のにように感じられるけれど、ちょっと意識をかえるとそのような感覚はなくなって、それぞれの作業や仕事が興味深いものになっていき、なぜ「早く終わらせたい」と思っていたのかも不思議になるくらい、体感が変わった。

で、こんなブログを書こうとする余裕までうまれてきた。

時間を忘れるとか、時間を守らないというわけではないけれど、
時間に駆り立てられない、ということは仕事をする時に大事なことだと思う。

「早く終わらせたい」は、私のひとつの大きな習慣だけれど、そこから離れることが出来るたび「ああ、このほうが効率がいい、仕事の出来もいい、心身も快適」と実感する。

そういう実証が、焦ったときに「急ぎたいけど、いったんとまろう。やり方を変えよう」という思いに従いやすくなっていると思う。

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