レッスンメモ ルシア・ウォーカー(1)

昨日は日本に来日中のルシア・ウォーカー先生のレッスンをうけた。

久しぶりのルシアのレッスン、とてもよかった。
わすれないうちに、心に残ったことをメモしておきます。

レッスンの始め方として、まずルシアは参加者の興味を聞きました。
各自「○○について」と要望を述べていくと
「この材料を使って、どんなスープを作るか考える」と、たのしそうに言っていた。
この表現、好きだな。

私の知るアレクサンダーの先生の多くは、授業の内容はかっちり決めないで、当日の生徒さんの要望によって、レッスンの内容を組み立てていくスタイルの方が多い。
レッスンは本当に「みんなで材料をもちよって、今日は何が食べられるのかな?」っていう感じがする。
自分がレッスンをするときも、何を作ろう?っていう感じがする。

で、私を含め何人かは「ハンズオン・手を使うこと」という興味を出した。

ルシアは手を使うことについてのレッスンで、
2人組のパートナーになり、1人は目を閉じパートナーに触れ、もう一人は触れられながら自由に動くというワークを提供してくれた。

触れる側、触れられる側、両方が気づきを得ることができる面白さがあった。
私は、触れる側でいることの方が楽しかった。
目を閉じて相手の動きに合わせて、自分も自然と動くというのは、自分と相手に対し感覚が繊細になっていくのと同時に、自分の使い方を面倒見続けるという意識を保つよい刺激になった。

もし自分の使い方が悪ければ、相手の動きについていくことが大変になるし、相手の動きの邪魔をしてしまいそうに感じた。
そして、自分の使い方ばかりに気を取られていては、相手の動きについていけないし、触れていることによって得られるたくさんの情報も減ってしまいそうだった。

このワークを終え眼をあけると、身体はとても目覚めているのに、脳が静かな新鮮な静けさがあった。
瞑想から出てきたような。
とても強烈な体験だった。

ルシアは、レッスンにおいて手の使い方についてはいろいろとあるけれど、自分が最も大事にしているのは、何もしないで触れるということだと繰り返し言っていた。
正確な言い回しはわすれてしまったけれど…。

これは、トレーニングコースでも教わるし、どの先生もよく言うけれど、
今回のルシアの説明は「私が選んでいる、私にとって、もっともだいじなこと」のような「彼女の心、彼女の選択」という感じがした。
…いや、どの先生も、そうだけど。

なんか、ルシアのレッスンは、「私は…」という言い方が多くてとてもよかったのです。こちらの選択肢をちゃんと残しておいてくれる感じとか、やり方を教えようとしている感じがしなくて。

うん、技術とか基本って、きっと学び続け使い続けるうちに「教わったこと・やり方」ではなく「自分の選択」というようなものになっていくのだな…。

私はこのレッスンの前の時間は、トレーニングコースで「観察」についての授業をしていたんだけど、その授業での要点は
「観察は、観察しようとするのではない。
まず、第一には、習慣を抑制をすること。
抑制が行われれば、ギフトのように情報がやってくる」
ということが主軸だった(つもり)。

ルシアのこのレッスンでも、「何もしない」「自分の面倒をみながら一緒にいるだけ」「やってくる情報を楽しむ」といった質が、とてもこのレッスンと関連づいていて、これからレッスンをする時に、もっと「何もしない」ということを大事にしたいと思った。
やっぱり、私は、いろいろしすぎだ……。

まだメモは続きます。とりあえず、ここで一区切り。




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