やろうと思えばできるという幻想
Bookコースの課題を読んでいて、このテーマにはすごく惹かれました。
アレクサンダーが記したこの言葉
習慣的で感覚にとって慣れた動作については「やろうと思えば」それができるのだから、
習慣的でなくそのために感覚にとって不慣れな動作についても、
「やろうと思えば」同じように成功する、
という幻想
*翻訳yasuhiro様
私たちって、毎日こなしていることは、普通にやろうと思えばできる。
今、私がやっているパソコンの入力なんかもそうだし、ご飯を食べるのもそう。
でも、子供をみていると、スプーンを口にもっていって食べ物を運ぶことですら、
やろうと思ったからってスムーズにいくことではないですよね。
まあ、そこまでいくと、子供と大人は違うし比較にはならないかもしれないけれど、
アレクサンダーテクニークの本を読んで、
「ふーん、首を自由にすればいいのね」
と思っても、そうはいかないのが現実。
実際にレッスンに通うことの重要さはそこらへんにありますよね。
「できてる」と思っても、感じても、
実際はそうはない事もたくさんあるし。
ヨガを習いにいったときのこと。
腕立て伏せみたいなポーズがあるのですが
「力を抜いて、ひじを曲げて」と指導されたことに対して
「はーい」なんて、気安く思っていたら
ぺしゃんと床につっぷしてしまいました。
先生のように、きれいに体を支えられないのです。
「うそでしょう?力がいらないの??」
って思ったけれど、毎日やっているうちに
「あ、ほんとだ・・・”曲げるとき”力はあんまりいらない」とだんだんコツがつかめてきました。
でも、ほんとにはじめはムリだった。
言われたとおりにやっているのに、できない。
不思議だ不思議だ、どうやってやっているんだろう?って。
でも、実際は、自分が”やっていると思っていること”をやっていないってこと、
多々あるんですよね。
意図したこととは違うことを行っているのに、気づいていないとか、
意図されたことを勘違いして行っているのに、その勘違いにきづいていないとか。
アレクサンダーさんの気づきは、本当に本当に深いなあ。