美しさとアレクサンダーテクニーク

BodyChanceから、楽しい雰囲気が伝わってくるメルマガが届きました。
明日から授業が始まるマリー・フランソワーズ先生が、日本に到着したそうです。

スタッフとマリー・フランソワーズが
<アレクサンダーをビューティーに活かす>
という内容で会話に花が咲いたということです。

女優さんのように美しいマリー・フランソワーズにふさわしいテーマだな。

私にとって、「アレクサンダーとビューティー」というテーマは、いまいちわからないものだった。
なぜかというと、それはつまり、アレクサンダーテクニークを学ぶことで、自分の美しさに影響がでたか?
というテーマにもつながるからです。

美しさの概念って、なんでしょう。
ほんとうに、ひとそれぞれ、多くの解釈がありますよね。

生徒さんをみていて、「美しくなった」と感じることは、多々あります。
・動きの流れが美しい
・心身の緊張感がへって、余裕がうまれている
・表情があかるくなった
・筋肉のつき方がかわる
・人前に出るときに、堂々と大きく見える
・声に深さや、落ち着きがます
・立ち姿・歩く姿に存在感が増した

モデルさんとのレッスンで、
「女性らしい曲線がでるし、自然なポーズをとることができる」
というフィードバックを受けたこともあります。

私はそういう部分について、美しいなあと思うのだけれど、
巷の雑誌をにぎわしている「美しさ」は必ずしもそういうものではないように思います。

アレクサンダー・テクニークで生まれる美しさは、その人らしさ・生命感の美しさであると感じます。

BodyChanceのメルマガによると、
「アレクサンダーを使ってエレガントに帽子をかぶる方法を教えられるわ!」
とマリー・フランソワーズが提案して、その場でレッスンをしたようです。

日々トレーニングをしたり、食事を変えたりする美容法もありますが、
頭と脊椎のコーディネーションを意図することで、
ちょっとした日常の動作にエレガンスを与えることができるって、
アレクサンダーテクニークのよさだなあと、メルマガを読みつつ思いました。

そう考えると、美しさに関してアレクサンダーテクニークできることって、たくさんあるように思う。

・お茶を飲むとき
・会話の中でうなずくとき
・お風呂で身体を洗うとき
・お皿に料理を盛り付けるとき
・頬杖をつくとき

・・・きりがない。

そういったアクティビティーレッスンを「美しさのためのレッスン」としてとらえることは、私はあまりなかったけれど、
確かに、きれいにうごけるようになりますもんね。

しかも、ラクでありながら。

その「きれい」が、誰かの基準と一致しているとは限らないけれど、
私にとっては、きれいだな、って思う。

よく、「きれいに歩けるようになりたい」といってレッスンを訪れる方もいるのですが、
そのときに、この方の言っているきれいと、私のきれいは、言葉の意味しているものは同じなのかな?
と思うことがあります。

アレクサンダーテクニークでいうところの美しさは、調和・バランス・スムーズさでしょうか・・・
雑誌やTVで美しい歩き方として紹介されているものとは、違うことがあります。
「おなかを引き締めて!」「背筋をまっすぐ伸ばして!」
というような、自分を固めるようなものではありません。
必要な緊張であれば、腹筋も使われるだろうし、背筋の緊張感も変わります。
けれど、自分から、固めて引き締めるような感じではないんです。

私は、アレクサンダーテクニークのから得られる、
脊椎動物らしい、頭から脊椎へ、脊椎から手足へ・・・と流れをもった動きの美しさが好きです。
それは、トップアスリートや、すばらしいパフォーマーたちの動きが美しいのと同じです。

アスリートやパフォーマーだけでなく、日常生活の、普通の生活が
そういう美しい動きとともにあるというのは、すごいことですね。

そう考えていくと、
「アレクサンダーテクニークを学ぶことで私は美しくなった」
とは、言えないけれど
「不要な緊張を減らして、自分らしく美しく動けるようになってきている」
とは言えそうです。

アレクサンダーテクニークを美しさのために・・・というのは、あまり意識したことはなかったけれど、
そういう観点で、日常で美しさを作り出していくことは、人生の質を全く違ったものにしてくれそうです。