からだとこころ 分けることはできない
前回の投稿ともつながりますが、
アレクサンダーが心身は分けられないと言っていること、つくづく本当だなあ…と感じます。
世の中には
「身体の」技術・トレーニング
「意識の」技術・トレーニング
など、わかれているものもありますが、だからといって、
身体だけ・意識だけでトレーニングができるわけではありません。
アレクサンダーは「身体が優勢」とか「精神が優勢」ということはできるかもしれないけれど、分けることは決してできないと、本で説明していたと思います。
アレクサンダーテクニークを
身体の使い方
意識の使い方
とわけずに
「自分の使い方」と呼ぶには、こうした背景があるからですが、もしかしたら「自分の使い方」とよんだって、「ああそれは自分の体の使い方だな」とか、「自分の心持ちのことね」とか、人によってイメージするものがあるかもしれません。
私はいま、この文章を作成するために、頭で考え、身体でタイプをしています。
文章を考えるというのは、意識の働きでしょうか、脳という身体の働きでしょうか。
深く考えるとわけがわからなくなります。
私というものを、意識と身体に分けて考えることは、とても難しいです。
とにかく…アレクサンダーは考えたり、何か行為をするということは、分けることのできない「心身活動」だと言っています。
そして、レッスンをしていくと、ほんとにそうだなあ!と実感し、
私自身を分けることもできないし、アレクサンダーテクニークを、身体の使い方・意識の使い方なんて分けることができないものだ!と体感します。
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