人からの評価をどう受け止めるかが変わる
- ともこ
- もともとわたしが演劇に惹かれたのは
「いろんな人生を体験したい」ということからだったんだけど……
夜、夢を見ているときって、
たとえ自分の名前が違っても、姿形が違っても、性格が変わっても
「意識」は自分でしょ。
……言っていることわかる? - けいこ
- わかるわかる
- ともこ
- 意識は何も変わっていない。
でもあとは全部変われるじゃない。
しかも、それを信じ切って、そこに存在できるじゃない。
お芝居をやっていた当時、それを、舞台の上でやりたいと思っていてね。
で、どうやったらそれが出来るかな? と思っていたんだけど……
舞台の本番中にね、出番待ちで、舞台のそでから上演作品を観ていたの。舞台上では、いつもの芝居の仲間が家族として生きているのね
照明に照らされた光の中で。
それが、「演劇の舞台」じゃなくて、「次元の違う別世界」の姿に見えたの。
それを暗闇の中から見ていたら……
「私も一歩ここに出れば、違う次元の違う人になる」って、
本当にリアルにそういう気がしてきて……。自分の出番になってその舞台の光の中に入っていったら……何もしないで自分の役柄としてそこに居られた。
無理やり思ったんじゃなくて、夢に落ちるみたいに自然に。
もちろん、セリフが頭に入っているし、立ち位置とかも、理性としては残っているんだけど。
自分はこの家の末っ子で、ここにお母さんがいてって……
それは設定だけれど、夢を見るのと同じように、それを真実だと受け入れている私もいたの。
舞台が終わった後、「今日は演技をしないで舞台の上にいられた」と思ってね、勝手な満足感が高くて。
普段は「人からどう見えたかな」とか、「どういう表現になっていたんだろう」とか気になるんだけど、
その日は、ただ自分の存在を信じて舞台上に居ることができたから満足で。
帰り道、仲間が「今日の知子はすごく良かった」って感慨深く言ってくれたの。
いつもだったら「あ、今日の演技はうまくいったんだ!」って、すごくうれしいと思うんだけど、特にうれしくもなくて。
……演技をしていないから。
別に何かしてないし、何かをうまくやろうとしてないから。 - あき けいこ
- あーーーー。はあはあはあ。
- ともこ
- それはね、不思議な感覚だった。
普段は、喜びたかったわけよ。
「よかったよ」とか褒められて。
「私、できた!」みたいなものがほしかった。
でも、実際自分がやりたいことが出来たときは、全然そんなことは気にならなくて。
そのあと、演劇をやめちゃったから舞台に立っていないんだけど、あれは私にとって理想だったな。
あきさんが言っている「ただ決めて、そこにいる」っていうのと、やっぱりおんなじだと思う。 - あき
- 人の評価は、もう、どうでもよくなるよね。
- ともこ
- あきさんもそうなんだね
- あき
- その瞬間って、評価はどうでもいいというか、その瞬間にいられただけで満足で……そういう嬉しさ。
うまくできたとかいう嬉しさではなくて、ただ、そこにいられた充実感でいっぱいで、
人が……褒めてくれてうれしくないわけじゃないけれど、
それはなんていうのかな、あんまりたいしたことじゃないっていう状態でいられる。 - ともこ
- そうそうそうそう。
- あき
- で、逆に、もし仮に人からその状態でダメ出しをくらったとしても、
「でも私はあのとき決めたことにただ忠実にいて、まだまだ未熟だったかもしれないけれども、いま出来るベストは出来た…」
というか、「ベストにいた」 という充実感かな。 - ともこ
- うん、「した」っていうよりは、「いた」っていう感じだよね。
- あき
- そそそそそそそ。
- けいこ
- あーー。(うなずく)
- あき
- だから、アレクサンダーテクニークを初めると、俳優さんが幸せになれる気がしていて
……うまくなろうっていう喜びと、違う点で充実感を手に入れられるから。
私の中では“売れる・売れない”とか“いい芝居をしたい”とか、
それに、あまりかかずりあわなくてすむようなところに影響があるのじゃないかと思う。 - ともこ
- よくアレクサンダーテクニークのレッスンで生徒さんが抱えている問題に
「こういわれたけれど、こうできない」とか
「どうやったらオーディションに受かるか」とか、
「評価」の部分で大変さを抱えている人も多いの。
人の評価も、大事な部分だと思うんだけど……そこに人生とか生活がかかっている場合もあるし。
でも、評価を気にするあまりに自分のバランスを失ってしまうと上手くいかないって知っていることは、大事だと思う。
どうやったらオーディションに受かるのか、直接的にはわからないけれど、
そういう刺激のなかで自分のバランスを取って、自分の能力を発揮できるようにすることには、
アレクサンダーテクニークはすごく役立つと思う。 - あき
- 距離をおけるよね。いい意味で。
人の評価っていうものに囚われている自分っていうものにも気づけるし、
「距離を置けるんだけど、いま囚われている」とか。距離を置けることすら知らないのではなくて。
- ともこ
- そうだね。
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