「出来ない」 という 、思い間違い

ともこ
あきさんの話、そうだよねって、とても同意する。
 
「出来ない」って悩んでいることが、
アレクサンダーテクニークのレッスンにきてやってみると、実は“簡単に出来ること”だったりする事がよくあるじゃない?
だけどそれって、自分ひとりではなかなか気づけないよね……。
けいこ あき
ふふふ
ともこ
生徒さんがレッスンにきて、「これが出来ないんです!」って一生懸命説明してくれているのを聞きながら、「出来るはずだけどな」て、思うこともよくある。
 
説明してくれている様子から「それをやろうとしている時に、過度の緊張を抱えてやっているんだろうな」って、伝わってくることがあったり。
 
アレクサンダーテクニークを長くやっていても、
「出来ない……! うまくいかない……!」って思うことはいっぱいある。
だから、「もっと可能性が広がって、かつ自由でシンプルな道があるのでは」と、このワークを通じて探究するのは楽しいし、終わりがないよね。
けいこ
うんうん、なんか、こういう感じ。 (指先を螺旋状にクルクル回す)
一見ぐるぐるしているんだけど、高さ的にみたら、上がってる、みたいな。
ともこ
今まで「どうしても出来ない」だったものに対して、
「そう思い込んでいることが、うそかもしれない……」って思えるようになってきたり、
「出来ないのは、何かをちょっと間違っているだけかも……」って、可能性に対してオープンでいられるようになることも、
レッスンの効果だと思う。
けいこ
あるあるあるある
あき
そうだね、「必要なことが明確になって、それをちゃんと実行していければ、きっと出来るようになる……」というような考えに変わる。
ともこ
そうだよね。
 
アレクサンダーのレッスンっていろんな人が来るから、
私がやったことがないことを、「出来るようになりたい」ってレッスンで要望されたりするじゃない?
アレクサンダーテクニークを教える練習をしはじめたころは、それが怖かったの。
 
とっても歌が上手な人に、「もっと楽に歌いたい」とリクエストを受けたり……。
「私は歌の知識がないし、あなたは私よりずっと上手だし……」って、自分がその人のリクエストに応えられるとはとても思えなくて。
 
だけど、アレクサンダーテクニークで自分の使い方の調和にケアをすれば、
その人の専門分野の技術に……歌なら歌に、ちゃんと良い影響がでる。
 
そういう実例をたくさん見て、経験して、このワークを信頼できるようになった。
専門分野の技術向上ではなくて、基礎という部分で、アレクサンダーテクニークの力をすごく感じた。
 
そういうことを、自分が演技の勉強をしていたときに知っていたらよかったのに……と思う。
演技の勉強をしていたときは、何の柱もなくて、ただ感性とか感覚だけでやっていたから。

けいこ あき
うん。
ともこ
発声とかも、「おなかから声を出せ」という指示がよくあるじゃない?
私、アレクサンダーテクニークの先生に
「声は呼吸によって作られます。呼吸は肺から出ます。お腹からでません。」
という、まあ……当たり前のことを言われて、その指導にカルチャーショックを受けたことがある。
 
実際、お腹から声をだせと言われると、
お腹の動きに集中してしまって、変に力んでしまっていたりしたし、
アレクサンダーテクニークによって、身体全体の動きが解放されれば、
勝手に呼吸は楽で大きくなって、声は響きを増して出るようになったりして、
いままでやってきたことが逆効果だったと気づいた。
 
で、アレクサンダーテクニークのトレーニングを積んで、
「おなかから声を出す」というのは「発声の仕方」ではなくて、
発声に対する「感覚的な表現」のことだったり、
身体全体を使って声をだすということを意味する「比喩的な表現」のことなんだと理解した。
 
何かを学ぶ時って、指導の中に
・欲しい結果 ・結果を起こす手順 ・結果の感じ方 
について説明があって、それは明確に区分けして説明されていないことがあるけれど、
区分けができるようになると、
先生が言っていることの理解力も増すし、
指示されたことを結果として出すために、
実際に何をすべきかという部分に焦点が当たって、
プロセスの”手順づくり”が上手になるように思う。
 
アレクサンダーテクニークを学んで、
そういう、望む結果を作るというクリエイティビティを探究できたことは、すごくよかったと思う。
 
もしかしたらそれは、
単にアレクサンダーテクニークということではなくて、
今まで指導してくれた先生たちのやり方が好きだったのかも。
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