本番マジックが起こるとき
- あき
- 仙台では?
- けいこ
- 仙台では、高校で演劇部に入っていて、卒業してからもやりたいなって思って、地元の劇団に入った。
演劇部の先生が、劇団に入ってて、その劇団に入れさせてもらったんだけど、
その時はね稽古が辛くて……ずっと辛くて……。
自主練のエクササイズ的なワークも、「自分を出して」って言われてそれを「拷問!」って思った。
でも、それを探すために演劇やっているという理由もあったし。
……自分っていう人間を知りたいっていう思いも、ちょっと。
舞台の本番だと、今まで練習していたセリフの言い方と全然違う言い方になったりとか、
「え? あたし、こんなこと思ってる?」って、自分が感じたり知覚する情報がすごく変わって
「なにこれ?」っていう瞬間がすごい好きだった。
その……「本番マジック」みたい。
で、本番は好きなんだけど、練習はすごい嫌いで。
(一同笑い) - ともこ
- でも、本番マジックが起きるって、すごいね。
- あき
- すごいすごい!
- けいこ
- ほんとう?
本番ではそういうことが度々あって、なんなんだろうこれは?と。でも練習で「自分を出して」って言われると苦痛……。
なんでそれ練習で出さないの?って言われるんだけど、私にもわからなくて。
自分的には表現しているつもりなんだけど「棒読みだ」とか言われたり。
「イヤイヤイヤ……私は感情出してる!」みたいな(笑) - ともこ
- 演技って、自分じゃ客観的に見ることができないじゃない?
自分で作り上げたものを。
映像の世界だったら、まあ、別だけど。
絵とか生け花とか物質的な作品を作るアーティストは、「じゃあもっとこうしよう」と作品を見ながらできるけど、
役者ってそれができないから、そういう点で難しさを感じる。
で、終わった後に、じゃあ、どうやったらもっとよく出来たんだろう? っていうのも、自分じゃよくわからないし。 - けいこ
- そうそうそうそう。
役をつかむ瞬間があるの。
なんかこれこっちだ! おおー! よっしゃーって!って。
で、次の稽古でそれをやると、なんだかもう違うものになってて……。
演出家からも、過去を追うなって言われて。
「だってあの時のよかったじゃない? どういうこと!?」って、混乱したり。
今だったらわかるんだけど、当時はよくわからなかった。
「だって、あれが良かったんだから、あれをやればいいんじゃない?」って。 - ともこ
- でも、うまくいっていたときとは、違うことやっていたのかもね。
- けいこ
- そう! そうなの!
感覚を頼りにして、「こうやっていた」というのを再現していたから
きっとだいぶ違うことをしていたんだけど、本人的には再現できていると感じていて「オッケー」と自己判断しているという。 - あき
- 本番マジックが起きた時を、今、客観的にみると何をやっていたか、自分でわかる?
「あのとき、こういうことをやっていたからマジックが起きたんだ」って。 - けいこ
- アドレナリンはめっちゃ出てるんだ。今思えば。
ある意味、「もう、やるしかない」みたいな状況だったりするじゃない? ああいう時って。
本番は流れもやることは決まっているんだけど、ハプニングも起きたりする。
「あれ? 小道具ない」 とか、「あれ? セリフの順番違うんだけど」みたいなハプニングがあったり。
稽古で仲間はここで笑っていたけど、お客さんは全然笑わないとか。
「え、そこで笑うの?」 ていう意外な反応があったり。
次々と起きてくることに対して、ただ、それをこなしていくっていうか。 - ともこ
- 「今、そこにいる」という、ことだね。
- けいこ
- そうだね、そう。
いい意味で、考える暇もない。
どうなっているかとか、こうしなきゃとか、いろんなジャッジメントを考える暇もない。
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