伝えたいものが準備されていて、余分なものが外れたときに、用意されていたものはちゃんと伝わる
- あき
- 一昨年、*キャシーのパフォーマー向けのグループレッスンに参加したのだけれど、
「自分の表現したい作品を1フレーズずつ用意してきて」という課題があったの。
*演劇指導においても実績のあるアメリカのアレクサンダー教師。
音楽の人、役者、ダンサー、教師とかいろんな職業の人がいて、
詩のワンフレーズを朗読する人もいれば曲のワンフレーズを演奏する人もいて。
グループを何組か作ったのだけど、
グループメンバーのそれぞれの1フレーズは、全然関連がないわけよ。
その関連がないフレーズを1つの作品として、
「これはこういう場所で、こういう設定で…」ってキャシーがプロットする。
登場人物のキャラクター性は全く指示しないで。
たとえば私のグループでは……
「太極拳をやりたい」といった人がいたのだけど
キャシーは「あなた達グループの舞台は、この男の人の夢の中です」と。
そしてその人自身も、自分の表現したい1フレーズである太極拳をする。
夢の登場人物になるメンバーは6人いたのだけど、それぞれが用意してきたのは
「“涙そうそう”を歌いたい」、
「*ミラーリングをしたい」 *二人が向き合って相手と同じ動きをするエクササイズ。
「フルートを演奏したい」
「ダンスを踊りたい」
「クラリネットを演奏したい」、
私は、「詩を朗読したい」
まず、「その夢の中で繰り広げられる出来事ですよ」っていう設定だけがあり、
登場の順番を決めて、その1フレーズをつなげていくのだけど、
“涙そうそう”とミラーリングの人が一緒に登場することになったの。
太極拳をしている人がいる舞台に
二人がミラーリングをしながら登場する……しかも一人は“涙そうそう”を歌いながら。
それがコントみたいなわけ!
で、私、それをみながら、
最初は笑いながらも泣き出しちゃって。
“涙そうそう”って亡くなった人を思う歌だよね……
ミラーリングの2人が夫婦に見えて。
悲しい曲だと思っていたのだけど……
思い出や……そう、美しい思い出っていうのを勝手に想像して、
私が“涙そうそう“を歌うなら、美しい思い出を思い出しながら歌うだろうなっていう目でみていたら、
目の前では、変な二人がミラーリングしてて(笑)
なんかよくわかんない妙な動きをしている人たちなんだけど
そこに「人生って、こういう瞬間が、もしかしたらすごく愛おしいのかな」と見ちゃって、
「すっごいこれ!」って思ったわけ。 - ともこ
- あきさんがすごい
- けいこ
- そうわたしもそう思う。感性がすごい。
- あき
- で、なんでそういう話をしたかっていうと、
さっき、『「想定」をキープしたままだとうまくいかない』って話があったから。
そこにゆだねたときに……ミラーリングっていう、その歌にはまったくふさわしくないものにゆだねたとき、
歌がものすごく伝わってきたのね。「それぞれに、伝えたいものが準備されていて、
いろんな不要なものが外れたときに、
この人たちが用意している何かはちゃんと伝わるんだ」って思って。
「キャシーはそういうことまで考えて、これをパフォーマーのためのワークにしてるわけ?」みたいなことを思って。
今年(2014年)も俳優さん向けのワークショップがあったのだけど、基本やっていることってそれなの。
だからキャシーの中では演技の中で大切なこととして、
やろうとしていることが何か1本通っているんだなあと思って
アレクサンダーテクニークっていうものの、もう一つ先とでもいうのか? - ともこ
- そんなかんじ感じするね。
- けいこ
- うん。
- ともこ
- 一歩先なのだけど、
アレクサンダーテクニークのトレーニングで意識を明確にすることを大事にしている部分……
フィーリングではなく、シンキングを明確にすることに軸を置いているのは、
演技とすごく共通していると思う。
アレクサンダーのトレーニングをしていると
「思っていれば、ちゃんと外に現れる」っていう証拠を
積み重ねられるように思うんだよね。
うまくいかないのは、思っていないから、みたいな。 - けいこ
- (笑)
- あき
- そうなんだよね。思っていることが出ているっていう。
- けいこ
- はあ、はあ、はあ。(うなずく)
- ともこ
- アレクサンダーテクニークの場合だと、
首がラクにならない時に、
それは、首がラクっていうことがどういうことかが明確になっていないこともあるし、
明確なのだけど、やっているつもりでやっていないこともある……。
まあ、いろんな状況があるけれど、演技もきっと一緒で、
「私はほんとうに怒っています」っていっても、怒った“つもり”なのかもしれないし、
その人の怒りというものがそのシーンやキャラクターにフィットしていないのかもしれないし……。 - けいこ
- ふんふんふん
- ともこ
- わかんないけれど、なにかこう……
とにかく「思っていることは、出てる」という信頼が必要だと思う。
そしたら、 “フィーリング(実感頼り)”にいかなくても、大丈夫。
……でも、やっぱりわからないし、わかりたいから(笑)
「私ちゃんと表現できているのかな」と思うと実感したくなって、
「実感を得よう」とすると、過剰に不要なものを付け足してしまうことになって、うまくいかない……
そういう悪循環。
やっぱり感覚がリードしがちじゃない?
感覚はちゃんと行為の後に来るんだけど、先に作っちゃいたい。安心したくて。
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