演技とアレクサンダーテクニークの切り分け
- ともこ
- アレクサンダーテクニークのレッスンのなかで演技をしてもらう時に
「演技のプラン」に口出すのは気をつけようと思ってる。
「表現部分」に関しては自由さを残しておきたいし、
その人のやり方を尊重したい。
私は好みじゃないと思っても、
圧倒的にそれがよかったりすることもあると思うし。
私が「こうしたらいいんじゃないかな」って思ったことが、
アレクサンダーテクニークのプランなのか、
演技のプランに入ってしまっているのか……自分に問いながらレッスンしてる。
*キャシーみたいに、きちんとした演技ポリシーがあって、
「これは、演技の教師として言っています」って切り分けができればいいと思うんだけれど、
私はアレクサンダーテクニークの教師で、演技の教師ではないから、
演技のことについては生徒さんと話し合って「あなたは何をしたいのか」ということを、大事にしつつ進めているつもり。
*アメリカのアレクサンダー教師 兼 アクティングティーチャー
それは、俳優だけじゃなくて、ミュージシャンとかダンサーなんかとレッスンするときも同じだけど。 - けいこ
- ジャッジすることは、ちがうよね。
- ともこ
- ジャッジ出来ないもんね。
で、自分好みになると「うまくいった」って思うじゃない。 - あき
- 先生として
- ともこ
- 先生として。
音楽だろうが、ダンスだろうが、自分の好みと合っていることを生徒さんがやっていると
「今の、よかったんじゃない!?」って思うんだけど、
でも、そこは決めつけたくないよね。
それは、私の個人的価値観だから。
動きの質っていう、アレクサンダーテクニークの分野に関することならフィードバックするけれど、
表現のことに関しては、一観客の立場だから。……とはいっても、アレクサンダーテクニークの分野の事だって、決めつけたくないし、
生徒さんとフィードバックを交換しながら、進めていくけれど。 - あき
- 生徒さんにフィードバックするじゃない、先生として。
それは、どんな、どの程度のことなの。 - ともこ
- 動きの質とか、意識の使い方の手順とか……
アレクサンダーテクニークの分野に関することは、「こうだった」っていうけれど、
パフォーマンスの出来具合としては、
「これは、個人的な意見だけど」って前置きして言う。
「私はこれが好きだった」「私にはこう伝わってきた」とか、一観客の参考意見という意味で。
でも、すべての人が同じように思うわけじゃないし
すべての人の感想なんてわからないわけだから
必ず、「あなた自身はどうでしたか?」って聞く。
そこが一番重要かな。 - けいこ
- 今のは好きでしたかって?
- ともこ
- 好き嫌いでもいいし、感想全般。
新しいやり方に対して、どう思っているのか、どう感じたのか。
第三者からフィードバックを聞ける点では、グループレッスンはいいよね - あき
- うん、いますごくそう思った。
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