道徳とアレクサンダーテクニーク

アレクサンダーさんの言葉

反応が悪くなってしまうことは、欠点や、いわゆる”精神的”・”道徳的(モラル)”な異常、不具合、病気となって現れてくるので
それらがあること自体、人間有機体に間違った使い方と機能が存在することを示しています。(康弘訳)

この文章が述べている、「使い方を変えることと、道徳的な反応」との関係について、考えてしまう。

道徳・モラルって、文化や教育と関連しているように思うので、必ずしも使い方と関連しているとは、私は思えないのだけれども……。

使い方が良いと、”道徳的な人”になれるのだろうか?
道徳的態度というものは、文化や教育とは関係なく、私たちが本来もっている建設的選択・機能なんだろうか。

私のアレクサンダーテクニークの経験の上では、確かに、アレクサンダーテクニークを使って反応をするということは、
意識的に、建設的に、広い視野で落ち着いて判断し、自分の中でベストと思われる行動をとりやすくはなると思う。
でも、それが道徳的かどうかは「?」って感じ。

そもそも、モラルに反して行動すること事態、普通の人はそんなに多いわけではないと思うし。

アレクサンダーテクニークを使うことで、道徳的な反応、そうでない反応というもが選択肢の中にあったとき、「どっちを選ぼうか?」という選択できる自由さは増えるような気がする。

そういう意味では、習慣的に・盲目的に・自滅的に道徳に反した行為をするというのとは、ちょっとちがうのかもしれない。

アレクサンダーが言っているこの文章を読むと、時々ちょっと極端なんじゃないかなあ?と思うのは、まだ私の学びが足りないからなのかな?




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