「何をするか」ではなく「どのような動機から始めるか」

久しぶりに、ブログを書きます。aicon_bbs14.gif

久しぶりには、いくつか理由があるのですが、一番の理由は
「私が、ほんとうに、伝えたいという思いがやってくるまで、なにもしない」
ということに取り組んでいたことです。

さあ、ブログを書こう、何について書こうかな~?
と、テーマを決めて書くこともできるのですが、それをしないことをしていました。

その思いから書くとき、私の中にはまず「伝えたい」ではなく「ブログを書かなきゃ」がメインで
なんだか少し重い腰を上げるような感じがしていたからです。

もうすこし「ピュアな動機と、その自然な結果としての表現」というものに取り組みたいと思っていました。

それは、習慣的な緊張や恐怖が動機となっているまま行動しない、という練習です。

恐怖・義務感を抱え、他人からの評価を気にしながら結果や目的の達成を望むこと

自分のパッションから表現したいと願いつつ、いつの間にか義務や責任、恐怖や自己防衛の意識のほうが大きくなっているということは、アレクサンダーテクニークのレッスンをしていても多くの人に見受けられるように思います。
「失敗しないように」「良い評価がもらえるように」「他の人に迷惑をかけないように」「ルール通りに」

音楽やダンス、プレゼンテーションや授業などその場面は様々ですが、何かをする時にクローズアップされている動機にこうした思いをもつことは多いのではないでしょうか。もちろん、それが良い刺激・良い働きをしてくれる場合もあると思いますが、そうではないケースもありますよね。

私はブログひとつとっても、なんとなくいつも頭に「やらなくては」と小さな課題を置いていて、それは、真の欲求からではなく、小さな恐怖反応のように思えました。

webサイトを更新しないと開店休業中みたいだし、サイトを訪れた方に「なんだ、何も更新されてないや」と放置サイトのように思われるのも(事実そのとおりなのですが)怖いし申し訳ない。
何も情報を提供しない自分は、すごく価値がないようにも思う。
何も書かないって、何も感じず、何もしてないみたいじゃないかしら?
などなど・・・
そして
「でも・・でも・・・」とそれに反論したり言い訳をしようとする思考が必ず生まれてきます。

なんだか、このプロセスで物事をするのって、限界があるように思いませんか?
いつも恐怖や義務や結果や評価に追いかけられている感じがしませんか?

小さなプレッシャーですが、私はこのやり方はもうやめたいと感じたんです。
「何をしているか」ではなく、「思考や心でどのような動機から始めるか」についてを見直してみたくなりました。

刺激と反応の仕方・・・アレクサンダーテクニークで扱う反応の問題です。

動機が変わるまで反応しないことで気付いたこと。動機の種

今回そのためにブログを書かないでいたということが、アレクサンダー的なやり方だとか、正しいやり方だとかいうわけではありません。
私のブログをお休みするくらいなら大したことないですが、世の中こんなに長い間「何もしない」ですむ問題ばかりではないですもんね。
なので、そんな方はいないと思いますが、「動機が気に食わない間は”何もしない”ことが正しいんだ」と思って、色々なことを放棄したりしないでくださいね。実験はあくまで実験できる範囲で、です。

ブログを書かないでいる期間、やはり私は自主的に表現していくタイプではないのだなーといういうことを実感しました。

ブログでコンスタンスに発信するのは苦手だけれど、目の前に生徒さんがいて、レッスンの場で言葉を発するのは怖くないし、むしろ何が生まれてくるのかとても楽しい!ということも実感しました。

相手との関係の中で、発する言葉の種を頂くことができる。
その人に会って、種を咲かせるまで、どんな花なのかわからない。
誰かと、毎回新しい花を咲かせるのがとても好きだ。
アレクサンダーテクニークのレッスンってほんとに、毎回新しい花を咲かせるようなものです!

でも、私は一人で花の種をまいて咲かせるのがどうも苦手みたいです。

「やりたくないことを、やらなくては」という問題とインヒビション

ではなぜこうやって今ブログを書き始めたかというと、「インヒビション」について先日聞かれたからです。

やりたくないことをやらなくてはいけない
という問題。

それを、「インヒビション」によって「快適になった」と雑談で話したところ、「インヒビションが良くわからない」という質問を受けました。

その時は「きっとそのうち体験するだろう」という安心と、時間のなさからあまり返答しなかったのですがきっと多くの人が同じテーマを抱えているだろうと思って、ブログに書きたいと思いました。

前置きが長くなりましたが、「ブログを書かないでいた」ことは、長い期間をわたってのインヒビションでした。

これは、ブログ更新をお休みしていた間、「やったー!開放されたー!」というわけではなく、何度も「書かないで大丈夫かしら」「私ってほんとだめね」という思いがよぎりながら、それでも「いいえ、でもその不安の解決策として”書く”ことは選びません」と習慣から離れ、新しい方向性として「伝えたいというエネルギー」が出てくるまで待つ・・・ということをしていたからです。

大したことない実験ですが、大したことのない中に、私たちは自分をギクシャクさせる習慣を持ちエネルギーを使い、疲労を増加させているように思います。

次回は、本題、「やりたくないことをやらなくては」に、私自身がどのように関わっているかを書きたいと思います。
ブログ更新の様に、「やりたくないからやらない」とはいかない。
では、その中でインヒビションの練習をどのようにしているのかを更新します。

ではでは。