Archive for ‘フリートーク’

4月 2nd, 2014

アレクサンダーテクニークについての説明文

アレクサンダーテクニークについてを、リニューアルしました。

だいぶ昔に書いた文章を掲載していたのですが、私のアレクサンダーテクニークに対する理解も当時より深まってきていますし、もっとあれもこれも書きたい…と気になっていました。

ちょっと修正をくわえることしかできていないので、もっと手直ししたいのですが……時間がかかりそうなので少しづつ進めていきたいと思います。

3月 31st, 2014

身体的緊張を手放す

身体の緊張を手放そうというとき「力を抜く」というアイデアを採用する方は多いですよね。
“緊張”に対して”ちからを抜く”は、アリな方法に思うかもしれませんが、
脱力し過ぎで身体にコリや痛みを招くかたもいますし、
力を抜くといっても、どこまで抜けばいいのか、自分ではよくわからないこともあります。

実は私も力の抜きすぎで痛みを招いたばかり……。
先日、長時間ドライブしたのですが、助手席でダラーとしすぎました。
翌日は、きりきりと肩が痛くて失敗を痛感。
力を抜きすぎて、頭の重さで首や肩を痛めてしまったようです。
(今も痛いのですが、身体の使い方を改善すると頭の重みから首と肩は解放され、痛みもマシになります)

アレクサンダーテクニークのレッスンでは、「力を抜く」ではなく、「頭と胴体の方向性」を意図することによって適切な緊張バランスを自分に招きます。

「頭と胴体の方向性」ってなんでしょうか。
たとえば、猫背の姿勢は、頭と胴体の方向性についてこんなふうにいえるかもしれません。

 ・頭をからだより前にもってきて、下の方に引き下げている。
 そして、身体は押しつぶされて肩を内側に引き込んでしまっている。

アレクサンダーテクニークでは、適切な自分の使い方を取り戻すために「頭と胴体はどっちに広がっていくか」というアイデアを採用します。

それは、どのような癖を持っている方でも
 ・頭は上に
 ・胴体は長く広く
という方向です

「のびのび」という形容詞は、まさにそういう方向性のことだと思いませんか?

なんだ、当たり前、と思うかもしれませんが、
ほとんどの人は緊張した時に「広がること」を考えていないように思います。
「力を抜くこと」「体を動かすこと」なんかで対処する方が多そうです。

「空間に対して広がっていく自分」
思っただけで気持ちよさそうですが、そうなるためにはコツがあります。
「広げる」わけではなく、「広がるということを許可し続けている自分」であることが大事です。
「広がる」ことを直接実行しようとすると、不要な緊張を招くだけの場合があります。

なので、余計な緊張を招かないように、「する」のではなく「考える」というレベルで対処します。
まず考えて、その考えに身体が繊細に反応するというデリケートさが必要。

では「考えて、繊細に反応できれば広がれるのか」というと、実際には「頭が上に」と思ったところで、本当に頭が「上」に行くとは限りません。
人によっては、上ではなくちょっと後ろに向かってしまう人などもいます。
自分の「感じる」上という方向が違ったりするんですよね。

だから、やっぱりレッスンを大事にしたいです。
「考え」と「体の反応」が一致してくれるように、アレクサンダーテクニークでは教師とレッスンを重ねます。
「意図すること」「意図したことを体験すること」をたくさん繰り返すことで、少しづつ「考え」が明確になり、反応も望んだものになる。

そうやって、「力を抜く」ではなく、「方向性」の力によって自分に適切な緊張・解放を招くことができるようになってきます。

2月 19th, 2014

抑制の練習機会を作る

日常は、刺激と反応の連続。

アレクサンダーテクニークで「抑制」を習っても、日常で使うことが難しかったり忘れてしまうのは、日常には刺激が多すぎて抑制する機会を逃しているからかもしれません。

刺激はなんでもいいから、抑制→方向性のプロセスを練習するといいと思う。

私は今日、エスカレーターに乗る時に抑制をしました。
エスカレーター前で階段を見送りながら、すぐに反応しないことを選び、
首が自由に、頭がうえに、胴体が広く長くと自分にメッセージをおくり、
そしてやっと一歩前にでてエスカレーターに乗る。

降りる時は、乗る時の様に立ち止まっていられない。
乗っている時に方向性を意図し続けることが、降りるための「自分の使い方」の準備でもある。

方向性は考え続けるというのが、大事なポイントです。

動きの最中にも、考え続ける。

それが、はじめに抑制した習慣を、抑制しつづけることにつながります

エスカレーターでも、トイレでも、お風呂で身体をあらうことでも、何でもいいので、日常の中で抑制の練習をする機会を意図的につくるといいと思います。

2月 12th, 2014

エンドゲイニングをやめ、習慣を抑制するには

前回の投稿の続きになります。

自分のことをよくわかっているけれど、変えられないというケースはたくさんあります。
私がそうだったように、「わかっちゃいるけど、習慣が抑制されていない」っていう状況。

今回、望みと不安の板挟み状態の私は、
「わかっているけどやめられない」
から、
「やめられた」
に、どうやって移行したのでしょうか…。

いったいどうやって「習慣が抑制されたのか」?と自分を振り返ると
「毎回、毎瞬、何を体験するのかはわからない」ということを思い出し、決定的な自分のミスを痛感した瞬間、抑制が働き、新しい方向性(やり方)に移行できたのだと思います。

この”痛感”っていうのがキーで、エンドゲイニングとミーンズウェアバイに関係している部分。

大事なとこなので、エンドゲイニングとミンーズウェアバイについて説明します。

【エンドゲイニング】
 目的を達成しようと集中しすぎて、自分に悪い影響が出ていてもかまわず突っ走るやり方。直接的・盲目的に目的に到達しようとするやり方

【ミーンズウェアバイ】
 エンドゲイニングとは逆。不要な習慣を抑制し、自分の使い方を改善し、その結果、機能的になった心身で目的達成のためのプランを遂行することができる。自分の使い方を面倒見ているため、悪い影響を作らずにすむ。

アレクサンダーテクニークの学びは、エンドゲイニングからミーンズウェアバイにやり方を変えていくというものです。

そして、このミーンズウェアバイというのは、「エンドゲイニング」じゃ、うまくいかない!!っていう深い理解があったうえに成り立つものだと、アレクサンダーは書いていたと思う。

薄っぺらい「わかっているけどー…」ってレベルじゃないんですよね。
「やばい!まずい!このやり方はうまくいかない!!」って、本当に実感をともなっている。

最初、私が「満足がほしいという思いと、不安との間でうまくいかないわ」って状況を把握したときは「うんうん、わかった。私ってこんな状態なのね」みたいに理解はあるけど「じゃあ、どうやって不安を掻き消せばいいなー」「わかったからって、この気分は変わらないわー」なんて意識だったかもしれない。
そうやって、理解してもなお、感覚にしがみついていた

これが、「まずい!このやり方はうまくいかない」とはっきり理解して思い出せたのは、レッスンの賜物。
その実体験を何度も繰り返して知っているから。

「感覚を目的にしてたら、根本的になにも変わらない!」と気づき、感覚にしがみつこうとしていた習慣を抑制することができた….のだと思う。

アレクサンダーを学んでいれば、エンドゲイニングがうまくいかないってことは、みんなよく知っている。
でも、わかっていてもエンドゲイニングになってしまうのが「習慣」という強い力。

刺激や習慣が強いほど、その強い力に対抗するために「本当に、このやり方はうまくいかない」と実感していることが必要で、その力を育てていくのは、レッスンをコツコツと積み重ねるしかないのだろうと思う。

2月 12th, 2014

今を体験することしかできないということ

学びの習慣について、新しい理解があった。
アレクサンダーテクニークにとても関係しているので、シェアしたいと思います。

私は、アレクサンダーが書いた著作を学ぶ「ブックコース」という通信教育で、モデレーターをしています。

参加者に課題を提出したり回答を読んだりするので、本の内容をよく理解するため、自分でも繰り返し勉強しています。
最近は、学生時代のように本の内容をまとめて「ノート」のようなものを作る作業をしています。

この作業をすると、するりと読み流しているところもじっくり読めるし、何度も形を変えながら繰り返し繰り返しアレクサンダーが主張していることもよく理解できる。
本を読みなおすよりも、自分が編集しなおしたこのノートを見る方が、本の内容を振り返りやすいのもいい。
アレクサンダーテクニークというものをより納得しながら学ぶことができるので、実際のレッスンをする上でも、とても勉強になります。

と、こんな満足感を体験してホクホクしていたのが、落とし穴でした!!

私たちは、とても「感覚」に弱いのです。
良い体験をすると、「またそれを体験したい!」という欲がでます

で、ノート作りをしはじめたころには無かった目的…「良い体験をしたいがために、ノートをまとめる」という目的意識が加わってしまっていました…。
そうすると、この面倒な作業をしていくうえで「まだ終わらない」「終わらないから、あのすがすがしい満足感が得られない」なんていう、当初は無かった不満が心の片隅に生まれてきて、学びのプロセスを少し邪魔し始めたんです。

「○日までに、全部ノートにまとめよう」なんて目標を掲げて、実際それができなかったりすると「満足の体験」と「うまくいかなかった体験」の板挟みに…。

それに気づいたのは、今朝「次回の課題の範囲をノートにまとめよう」と思ったとき、なんだかやる気がしなくて「ああーーー、やったほうがいいってわかっているのに…面倒だな…」と億劫に感じ、このテーマでレッスンをしてみようと決めたことがきっかけ。
自分で自分にレッスンできるのが、アレクサンダーテクニークのいいところですね。

「面倒だな」と感じたときに、「首が自由に…」と思っても、やる気はでず…身体も自由にはならず…。
変化がないってことは、私を邪魔している習慣が抑制されていないってこと。

「はて、私は何をしているのだろう?」
“自分の使い方”の一部である思考を観察すると、私は「満足感」を望んでいるということ、同時に「早く終わらせたい」「時間内に終わらないかも」という不安な気持ちも抱えていることがすぐにわかりました。

「満足の体験」と「うまくいかなかった体験」の狭間で自分がやるべきことにエネルギーを向けきれず、プロセスを進められない状況が億劫さとして表れていたということです。

そんな自分の状況を理解しましたが、やる気がでるとか、身体が自由になるとか、変化が直接起こることもなく、気分は億劫なまま。

「理由がわかったところでダメかー…さて、これがアレクサンダーテクニークのレッスンだったら、次は…」と考えたとき、自分のなかから答えがやってきました。

「今日、私がそのやり方(ノートづくり)でどれだけ学ぶかは、なんの保証もない。」

そうだった!!
私は、満足感をの望みつつ、うまくいかない体験も想像していたけれど、アレクサンダーテクニークのレッスンで学んだのは、「毎回、毎瞬、何を体験するのかはわからない」ということだった。
「感覚」を求めてプロセスを進めることは、建設的ではないということだった。
焦る気持ちは「エンドゲイニング(目的に集中しすぎ)」で自分の使い方に悪い影響をもたらすということだった。

「感覚」は「体験」の後にやってくるもので、しかも相対的なものだから、どんな感覚を得るかなんて、やってみないとわからない。
「過去」は「過去」。終わった体験。
期待したり心配している「未来」はわかるはずもないこと。

体験というものは、今、それを確かめるということでしか知ることができない
「めんどくさいなー」なんて思った瞬間に、過去を参考にしてやってもいない「今の体験を想像」していただけだった。
「終わらないかもーー」なんていう思いは「想像からくる」ただの「心配」で、ちっともプロセスに貢献していなかった。
で、その「想像」に、私は肩の荷を重くして、やるべきことを苦痛にしていた。

「今」を体験しながらプロセスを進めるのか
「過去の体験を再現しようとして」それをするのか
「未来の体験を空想し疑似体験しながら」それをするのか

今、自分が「いつを体験」しているのかを知ったなら、
それが建設的かどうか理解できたなら、エネルギーがちゃんとやるべきことに向かうようになった。

「感覚的体験の保証はなにもない。感覚を求めずに、得たい結果の為の建設的プロセス…毎瞬毎瞬を大事にすること」というのがアレクサンダーテクニークだけれど、そんな当たり前のことも「感覚を得たい」という習慣の前ではあっと言う間に吹き飛んでしまう。

感覚を求めることって、今を失ってしまうことともつながっていますね。

感覚の誘惑は、とても強烈だと、再確認しました。