Archive for 11月, 2012

11月 12th, 2012

身体的疲労でアレクサンダーテクニークが使えないという誤解

昨夜は徹夜で、モバイルサイトの修正なんかをしていました。

パソコンを使うときというのは、アレクサンダーテクニークを忘れやすいひとつのシチュエーションです。
没頭、集中、執着、あせり・・・。

パソコンと向き合いながら「やっぱり疲れているときは、アレクサンダーテクニークを使うことが難しいな。でも、寝てないんだから仕方がないのかな?」と思っていました。
アレクサンダーテクニークは「意識」を使うワークだから、元気がないときはうまく使えないと。

つい先ほどまで「風邪と寝不足のダブルパンチで、意識がうまく使えない・・・」と感じていたのですが、今、全然違う状況が訪れています!

私は、BODY CHANCEが行っているアレクサンダーテクニークの「ブックコース」という、アレクサンダー氏が書いた本を読むというコースでモデレーター(司会)をしているのですが、そのコースの最終課題の期限が明後日に迫っています。

先ほど、コースの参加者さんの投稿を読みました。

「投稿を読もう」と思うと
「書いてある内容に向き合おう」と思うと、
そして、その投稿内容に書かれていることを読んでいると、
私の身体は自然と開放され、ちょうど良い身体的支えが生まれ、ゆったりとした呼吸とやわらかく広がった意識が戻ってきました。

これって、一体なんだろう……?

さっきまで、「風邪だから、寝不足だから、疲れているから」と思っていた私の身体は、今は「風邪でも、寝不足でも、疲れていても」ゆったりとしています。

そうして、こうやってキーボードを叩きながら、くつろぎ、自分の身体をまとっていることに暖かさと喜びを感じています。

これって、不思議じゃないですか??

ブックコースで扱っている本は、とても理解しにくい文章です。そしてその内容は、奥深い問題を扱っています。

なので、ブックコースに投稿される内容も、それなりに深さを持ったものになることが多いです。(参加メンバーにもよるのでしょうが)

そのため、投稿を読もうと思ったとき、自然に「すぐに理解したい」「早く読み終わりたい」などという、エンドゲイニング(目的達成に集中しすぎて、プロセスがうまくいっていないこと)の状態から離れることができました。

だれかの書いた文章を読むということは、会っているわけではないけれど、その人と会話をしているようでもあります。

相手が難しい話、重要な話をしているときに、「ちゃんとわかりたい、ゆっくり話しを聞きたい」という状況になるのと同じかもしれません。

ブックコースについての投稿を読む……その高いハードル・大きな刺激が、逆に私の習慣的な反応を抑制してくれました。
(普通は、大きな刺激って、習慣が大きくなるものですが)

投稿を読む前に、私のエンドゲイニングは抑制され、投稿を読みながら、参加者の気づきや疑問という大きなふんわりとした空間に身をゆだねているような開放感を感じました。

アレクサンダーテクニークのレッスンをしているときと同じような、情報の行き来がしやすい意識常態にありました。
「次の瞬間何が起こるかわからない。でも、大丈夫。何が起こっているかわからなくても大丈夫。理解が出来なくても大丈夫。ただ、おきていることとともにいて、それを見続けて、そこに居続ける、プロセスを進み続ける」
目的はあっても、目的に向かってあせらない、そんなとても良い状態。

私の頭は脊椎の上で開放されふわりと浮かび、私の背骨はそれまで受けていたプレッシャーから開放され、手足は自由になり、呼吸がゆったりと身体にはいり、私がさっきまで思っていた「風邪たから、寝不足だから、つかれているから」の理由でアレクサンダーテクニークが使えないということが、「そうではない」のだということがわかりました。

さっきまでとは、別人の身体。
そして、別世界の状況。
状況は、何も変わらずにいますが、でも別世界。

ほんとうにすばらしいことです。

11月 11th, 2012

自分のぺース

昨日投稿した、食事中の焦りについて。

今日気がついたのは、なんと「食べることが面倒くさい」と、感じているのだということ。

ひと噛みするごとに、面倒だわと感じている私がいる!

食べることには大好きなので、思ってもみない発見でした。

“食べる”と、思った瞬間、思考はその触覚や味覚を想像し、その満足感をイメージの中で即座に味わう。

けれど、実際の食べる作業はお箸を使ってその食事を運び、もぐもぐもぐもぐ……と咀嚼筋を活動させ、やっと、ゴックンとひと飲みすることができる。

この単純作業を、何度も繰り返すわけですが、昨日気づいたように、ひとりご飯での自分の食事に関心が薄い私は、これを面倒くさいと捕らえているようなのです。

だから、焦っちゃうのねーーー。(これ、以前記載した、家事に対する習慣と一緒!

あせっていることに気づいて落ち着いて食べ始めると……、なんとその食べるペースの遅いこと!!

そうだ、こんな経験、以前もしたぞ。これだ!(ヨガをしていて、自分のペースの大切さを感じ、登山での経験をおもいだしたのです。)

登山のとき、仲間のペースに合わせていたらとってもつらくて、自分のペースを許したら、とんでもなく歩くのが遅かったときのこと。

その”自分ぺース”の遅いことといったら!!笑えてしまうくらい、のろいのです。
「私はほんとにのろいんだなあ!」と自分で自分にあきれてしまうくらいでした。
多分、靴1個分くらいづつ、トテトテと歩き始めたのです。
登山というか、散歩のレベル。それより遅い?
だけれども、すっごく心地がよかったのです!で、一気に視野が開けて、周りの景色や足元の感覚を楽しめるようになって山を登りながら「たのしいなあ!!」と思ったのです。
そうしたら、どんどん楽しくなって、自分のリズムがうきうきしてきて、足取りが速くなって、今度は駆け出したくなった。

私はやっぱり、基本的にスローペースなんだ!! 再確認~。

11月 9th, 2012

時間に対しての焦りがなくなり、作業効率がよくなる

昨日の目覚めのクオリティが衝撃的だったので、昨夜も期待しつつ、自分を方向付けながら眠りについたけど、今朝はやっぱり眠かったな・・・。

でも、1時間早く目が覚めて、その後も布団の中にいながらも2度寝せずにすんだから、方向性を考えないで寝る時より、睡眠の質はいいのかも?

もうしばらく、アレクサンダーテクニークと睡眠の状況について観察を続けて見ます!

それから今朝は時間との関わりでよい体験があったのです^^

朝、かたづけと掃除をしてから家を出るのですが、いつもなら「あと○○分しかない!」と思うのに、今朝は「まだ○○分ある」と捉えることが出来た事が(自然に)とてもよかったです。

だからといって「いつもと違うわ!ルルル〜♪」と思う事もなく、ほんと淡々とやるべきことをどんどんと片付ける事ができたのです。

いつもは頭の中で、いらないおしゃべりが多すぎるんですね「急がなきゃ」とか「コレとコレとコレ、時間内にできるかな〜(>_<)」とか。 よく”時間に使われるのではなく、時間を使え”ということを聞きますが、今朝は”時間を使う”ができたように思います^^ 出かける予定より時間が遅れた時も、冷静に頭の中で計算し「大丈夫」と何事もないように動揺せずにいられたことも、我ながら素晴らしい! いつもなら、慌てて鍵を閉めて「あ、暖房消したっけ? 洗濯機の水止めたっけ?」と、何かが気になってもう一度確認し2度手間3度手間となることも多いのですが。。。 なぜ、頭と脊椎を方向付けるだけで、物事を進める作業効率が上がったり、時間に対して冷静でいられたりするのでしょうか。 アレクサンダーテクニークを行うと、エネルギーの浪費を防ぎ効率的に動く事ができると言いますが、それが要因なのかしら。 いつもの私は、時間を気にし過ぎたり、脳内のおしゃべりが無駄だったり、エネルギー効率がとても悪いのですね。 1日中アレクサンダーテクニークを使うという課題は、意外にもそれほど大変ではなく、とても快適に進んでいます^^

11月 8th, 2012

食事中の焦りとアレクサンダーテクニーク

食事の時の習慣って、結構強いのだなと気づいた。

無駄に急いで食べようとしているみたい。

外食の時や、人と一緒の時はそうでもないけど、1人の時や、子供と2人の時はそういう傾向が強いみたい。

無意識に、自分の食事を軽視しているのかも。
ひとりご飯は、料理ともいえないご飯になったりするし、自分の食事関係を、もっと大事にできそう。

頭・脊柱を方向づけて食べると、お箸の持ち方も自然と変わり、ギュッと握るような力みが減る。
指が長くしなやかな状態でお箸を使うことが出来る。

空間と時間がゆったりして、ちょっと手持ち無沙汰な感じがした。
この手持ち無沙汰感を埋めるために焦りたくなる。

これが手持ち無沙汰ではなく、くつろぎだと感じられるといいな。

そういえば私は、くつろぐ時には、人がたくさんいるカフェとかの方落ち着く。

静けさに慣れていないのかも。

11月 8th, 2012

皮むきとアレクサンダー

里芋の皮を剥きながら、ピーラーを引く時に、首や手首を固めながら身体を押し縮めていく傾向にある。
首の無駄な力を抜いて頭と脊椎を上へ方向づけると、力を発揮しつつも手・腕を固めなくて良いことがわかる。
どっしり安定して焦らずに料理し、道具たちと向き合うことができた。


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